【 フラッタ・リンツ・ライフ 】
( 文庫・小説 / 森博嗣 / 中公文庫 )
【スカイ・クロラ】シリーズの一端を担う物語。話の進行を考えると、先に【ナ・バ・テア】を読むべきだったのでしょうが、書店で見当たらなかったのでこちらを先に購入して読んでみました。
語り部の一人称は同じ”僕”でも、その存在はスカイ・クロラでの彼とは異なる人間……とでも言えば良いのか。それとも同じだと言ってしまうべきなのか。キルドレにまつわる種々の謎はまだ全てが開示されていないので何とも言えません。明らかにして欲しいとも思い、また謎は謎のままであってもいいとも思います――物語の中核はそこに在っても、本質はきっとそこには無いのでしょうから。
ともすると脱力感と間違えてしまう位に力の抜けた、力みの無い文体。それでいてナイフのように、ナイフすら真っ二つにする切れ味を備えています。そう言う意味では、【水】と形容するのが一番適切なのかも知れません。少なくとも森先生にとっては、この物語を考え・綴るのはそれこそ水を飲むのと同じレベルの作業なのでしょうね。
後、笹倉はやっぱり笹倉でした。ちょっと安心(何)。
【 生物と無生物のあいだ 】
( 文庫・新書 / 福岡伸一 / 講談社現代新書 )
中身に関して詳しく語り始めるとそれはもう途方も無く難解になるし、肝心の筆記者自身にそれを噛み砕いて分かり易く再構築する能力も基礎知識も無いので、その辺りはスルー(待て)します。ただ、その部分を詳しく語らなくとも魅力が布教出来そうな所が、この本の凄い所かも。
生物と無生物を隔てるルールは何か、生命とは何か、生きていると言う状態の定義はどんなものなのか。それらの難問に関して著者の福岡さんは様々な研究者や理論、実験成果を示しつつ記していますが――そのような専門的な文章だけでなく、自身の過去の研究環境や生活風景を巧みに絡め、科学書と言うよりも”かがくの読み物”と言った方が相応しい一冊に仕上げてらっしゃいます。研究の最前線の裏事情は、むしろ人間ドラマ的な色彩の方が強いかも。もしそこに属するならポスドクよりはラボ・テクニシャンに徹したい自分は、やっぱり歯車属性から抜け出せない模様です、笑。
動的平衡に、ブラウン運動。
それは生命一個体レベルに止まらず、人間種、地球全体の範囲で絶え間無く行われています。後者に関しては、必ずしも滞りなく実行されているとは限りませんが……富や人口の一極集中や格差の拡大は、ブラウン運動に真っ向から反発する行動ですからね。だからと言って人間が全て、平等や公平を元より心の中に刷り込んでいるのかと言うとそうも言えない訳ですが。
<完全な欠落よりも、部分的な欠落の方が事態を悪化させる>
何とも耳に痛い真理です。
【 スポーツドクター 】
( 文庫・小説 / 松樹剛史 / 集英社文庫 )
デビュー作【ジョッキー】では競馬を題材として取り扱っていましたが、今作は題名通りのスポーツドクター。救急救命や感染症対策と言った危険度の高い分野ではない為、なかなか話を盛り上げるのが難しそうな印象を抱いて読み始めました。結果的にはそのような心配が杞憂に終わったので安堵しています――但し、それは”盛り上がったから”と言う意味では無く、 ”題材を活かし切った”と言う意味で、ですが。
生死に直結しないからこそ、そこに潜む問題はより人間性や倫理に根深く絡まった難題になります。青春に賭ける情熱、愛情の暴発、肉体と精神の矛盾、その他色々。【生きる】為ではなく【上がる】為に発生する問題だからこそ、善悪を判断し難く完璧な処方箋を出し辛いのですね。だからこそ、それらに相対するスポーツドクター靫矢(うつぼや)の”柔らかい鋼”のような姿勢が、この職業には必要なのでしょう。この先生の場合、柔らかさと強さだけでなく、そこに”鈍さ”が加わってしまっているのが問題と言えば問題なのでしょうけど。笑。
一読すると、
江がどこぞの人類最強請負人にしか思えなくなる不思議。何処にでも出没する人だ(違)。
【 チルドレン 】
( 文庫・小説 / 伊坂幸太郎 / 講談社文庫 )
――ありとあらゆる街角に【どこでもドア】をばら撒いて行くような人だなァ、
と、
伊坂さんの小説を読む度に思ってしまいます。機知と皮肉に満ち満ちた、破調のような筋書きと登場人物。どう考えたって何処にも生えていなさそうな人々と物語を、街角を右折、左折した所にどどーんと、堂々と潜ませている。不意打ちのようにさりげなく、騙し討ちのように潔く”奇跡”を仕込んでいる――そんな印象。それは作者個人の印象でもあり、物語そのものの印象でもあります。実体験しようもない事柄を、これほどまでに「いやぁ、実は昨日こんな事があってさ」的な感覚で描き出せる、その胡散臭さと清々しさに乾杯ですね。
何と言うか、陣内自身が、伊坂さんがすっぽり被っている人型の着ぐるみなんじゃなかろうか(爺臭い)と思ってしまいます。熊を被った陣内を被った伊坂さんの「俺たちは奇跡を起こすんだ」と言う台詞は、笑っちゃう位に小回りの効かない、街角なんて目もくれず真正面の建物をぶっ壊して進む一本槍。だからこそ、絶対に折れ曲がらない印象を持てるのでしょうけれど。笑。
ドラマ化された、と言う事実が解説の中で記されていますが、陣内役を大森南朋さん(NHKドラマ【ハゲタカ】鷲津役)が演じていると言うのはたまらなく魅力的なお話です。鷲津の対極を行くこの役どころをどのように演じているのか、本当、見てみたいものですよ。
…………
陣内は、絶対に哀川潤と気が合いますね。それはぜったいに、ぜったいです。うん。
【 MOMENT 】
( 文庫・小説 / 本多孝好 / 集英社文庫 )
読み終えた直後には特に感じなかった感覚が、暫く時間を置くとむくむくと湧き上がって来る事がよくあります。この小説も、そんな時間差の感覚を芽生えさせた一例。
何と言うか――ちょっと不可思議な感覚なのですが、この小説は今では【ヒーロー物小説】的な印象で自分の感性の額縁の中に収まっています。病院、終末、そして”仕事人”。文体は一人称ながら冷静に淡々と進み、派手な戦闘シーンなんかは勿論存在しないのですが、最終的に感じたのは上記のような、定規の目盛りが大いに狂った的外れの(ように見える)感触。不思議ですね。分かってはいるのですけど、不思議です。ブラックジャックとドクター・キリコのどちらがこの物語の登場人物にとっての必需品なのかは、多分、言わずもがななのでしょうけれど。
それはそうと、
森野のイメージが、何故か霧間凪(ブギーポップ・シリーズ)で固定されてしまっている自分。更に”僕”の方はと言えば、同じ一人称だからだと言う訳でもないですが戯言遣い(戯言シリーズ)のイメージ。特に後者は、両シリーズを読んで頂ければ納得して頂けるのではないかな、と。
かかあてんかまちがいなしですね。(棒読み)
優しく厳しく、安直な涙をにっこり笑って門前払いしてくれる作品です。本多先生の他作品も読んでみたい。