【 円環少女 7 夢のように、夜明けのように 】
( ライトノベル / 長谷敏司 / 角川スニーカー文庫 )
核テロ編が三冊続いた後の、まさかの短編(?)集。
スニーカー誌に短期集中連載されていた作品に合間合間を加筆した体裁になっていますが、話自体は六巻(【太陽がくだけるとき】)から続いています。とは言え、中身はまさか、まさかまさかのギャグ風味。何と言うか……済みません正直シリアス物しか書かないと思ってました意表と言うより秘孔を突かれてひでぶって感じでみくびっていました済みませんったら済みません(では到底済まされない)長谷先生。そりゃ思わず文章が乱れてしまうのも仕方がない青天の霹靂。笑。
まあ、考えてもみれば魔法使い達はほぼ全員が全員自分の魔法世界、大系の常識を引き摺ったままこの【地獄】で過ごしている非常識人なので、こう言った感じの”ずれ”が生じるのも当たり前なのでしょうけど。すれ違いではなく”ずれ違い”――セラと寒川の会話がいい例ですね。不条理とはまた違う、条理に忠実がゆえのイレギュラー。
しりとりまでもが、魔法大系として成り立つ【円環少女】世界。
その内、某バラエティ番組の【色とり忍者】みたいなキワモノも出てきそうな気が(してはならない)
【 レンズと悪魔 Ⅶ 魔神決壊 】
( ライトノベル / 六塚光 / 角川スニーカー文庫 )
短編集、と言うよりは中編集と呼んだ方が適切っぽい一冊。
(何処まで続くか)と思っていたシリーズも七冊目を迎え、何と言うかそれっぽい風格と余裕が全般に漂う雰囲気になってきているのがちょっとだけクスクス笑いを誘います(何)。ブレ幅が小さくなってきて安定してきた反面、いざと言う時の爆発力、瞬発力が削がれてしまわないかどうかが心配の種でもあるのですけど。小さくまとまるよりも大きく弾けるべき。特にこのような酔拳じみた変則フォームの物語は。
コーマックとバーミッサのアードレー・ツインズは、今後の物語(本編)にも顔を出しそうな気がしますねえ。結晶連鎖法そのものの成り立ちと真正面からの打開策は明かされないままですし、父親との因縁も伏線として残されたっぽい感じなので。次に登場する時は流れの象シャツ売りとしてブルティエールに現れれば良いと思います。……意外に自分の好みなんだろうか、この二人。
それと、
【水面からザババーッと】の件でのテッキの反論は色々な意味で間違っていると思わずにはいられない今日この頃。普通、風邪を引いて死ぬ危険性よりも乙女としてそれはどうなのよ的な羞恥心の方が優先されそうな気がするのですが。……ボケ担当? しかし、そこに「論点そこかよ!」と突っ込まないエルバも十分ご立派なボケ担当。この二人、某笑い飯にも負けないWボケのお笑いユニットを組めそうな気がしてきます――ハリセン要らず。(万力は)(立派な)(凶器です)
何と言う事でしょう。
この物語には純粋なツッコミ役がいない。(どうでもいい)
【 チーム・バチスタの栄光(上・下) 】
( 文庫・小説 / 海堂尊 / 宝島社文庫 )
噂には常々聞いていたけれど噂以上の存在にならないまま(【図書館戦争】と同様にハードカバーの金銭的な壁)、映画化、文庫化の話を聞いてそこで漸く興味を持って文庫版を買ってみました。
そして久々の後悔。
ハードカバーだろうが学術書扱いだろうが初遭遇した時点で買っておくべきだった、と、読み終えてから思いましたよ。単なる医療小説の域を鼻歌交じりに飛び越えた【メディカル・エンターテインメント】は、こちらの想像を軽く三枚以上は上回る神業の逸品。これ本当に”おいしゃさま”が書いたの、とページをめくる度に疑ってしまう会話文、地の文の中に散りばめられた冴え冴えとした言葉。田口医師の内心での言動はもう【され竜】のガユスを彷彿とさせますね。しかもガユス以上に愚痴成分の割合が多くて色々な意味で涙を誘います。この人は貧乏くじを引く為だけにこの世に産み落とされたのではないかなと思わずにはいられない。
で、もう一人の主役、【ロジカル・モンスター】白鳥は――それこそ戯言遣いとサシで対談討論させても捻じ伏せてしまうのではないかと思えるロジカリストですね。「これはモンスターですか?」「いいえ、これはデーモンもしくはサタンです」(例文)と頭の中に英語の教科書じみた文章が。”これ”の時点で人間扱いしていませんが、多分人間扱いしなくても罰は全く当たらないと思いました。(棒読み)
ゴンタ君(誰)独り勝ち、と思った人はきっと正解。
ゴンタ君とマコリンを敵に回したらゲームオーバーだと感じた人は、即合格。
やっぱり田口医師は貧乏くじの星の下に生まれた御仁だと思いました。まる。
映画は現時点(08/5月)では観ていません。まあ、興行的には仕方のない措置なのでしょうが、田口役が女性(竹内結子)になっていたのはちょっと残念。個人的なイメージでは田口医師には白鳥役の阿部寛こそが一番相応しいと感じていたので、尚更です。と言うか白鳥はぽっちゃり体型だからこその白鳥であって、阿部寛では小説版でのあの独特の生理的嫌悪感が出し切れないと思ってしまうのですけどねー。この辺りの齟齬は、自分でちゃんと映画版を観てみない事には解決されないでしょう。だからその内に観ます。(観ろよ)
>【ナイチンゲールの沈黙】
>【ジェネラル・ルージュの凱旋】
田口・白鳥シリーズの続刊二冊も読み終えました。両方ともお薦めです。シリーズ丸ごとお薦め。
【 バッカーノ! 1931 鈍行編&特急編 】
( ライトノベル / 成田良悟 / 電撃文庫 )
> 【鈍行編】
> 【特急編】
疾走する列車の中での”どんぱち”は、ライトノベルにおける一種の黄金律。
そこに【大陸横断特急】と言うメジャーな看板が備われば、それはもう誰もが安心する手堅い本命馬と言う所でしょう。
一作目からこれ以上ないと言う位に弾けていたアイザック&ミリアがまた(駄目な意味で)レベルアップしてるのに一安心と言うか哀悼の意、と言うか。『そういうお前をわしゃ食った』の元ネタが全く分からないのは日本人として駄目なのか、むしろ分からなくてオールオッケーなのか、どっちなのでしょうねー。所謂”電波”にならないギリギリの所で、境界線上で踏み止まっているように思えるからまた凄い。完全に境界線を踏み越えたケースと言うと【魔術士オーフェン・無謀編】でのキースとハウザーの伝説の【パペピプペ】やゲーム【.hack】のパロディモードを即座に想起しますが、それはまた別の話。
ラッドは”殺人狂”なのか”凶殺者”なのか、まだ判断が付きかねています。自分の狂いを自覚している人間に対して前者の表現は適切でないようにも思えますしね。……で、クレアの方はと言えば単純に”殺人者”で良いのではなかろうか、と。それはそれである意味狂人以上に強靭な凶刃たりうる暴力なので、全く褒め言葉ではないのですが。苦笑。
ジャグジーはニースの所にいつか婿養子として入ったらいいな、と、脈絡もなく発想。(有り得る)
【 図書館戦争 】
( 一般書籍・小説 / 有川浩 / メディアワークス )
前々から興味はありつつもハードカバーと言う難題(単に価格の問題)を前に購入を足踏みしていました。で、漸くこのシリーズ第一作を買った途端に行きつけの方々のサイト様で図書館ブームが巻き起こってあっさり巻き込まれ全作購入した日和っ子が、このサイトの何処かに潜んで(ませんむしろ堂々と)
元々、図書館司書を割と真面目に志望していた一時期があったりするので、舞台設定も時代背景もすんなり受け入れ飲み込めました。堂上教官のこの名字を見た瞬間に脊髄反射で「どのうえ」と読解したのは自分だけではないよねェ、と思いたいもの(プロ野球の某球団にこの名字でそう読む選手がいるのです)。彼が手塚に向けて言った【正論】に関する一言が心にずっしりぐっさりと沈着するのは、普段から無意識に正しさの確かさを妄信し、正しさの”確からしさ”を検証する事をついつい疎かにしがちになっている事への警鐘なのかな、とも思います。まあ、堂上教官自身は正論を身体の中まで染み渡らせていると言うよりは、あくまでも外骨格――それこそ衣服として纏っていると言う風に解釈しているのですが。正論が身体の内側で血肉となっている小牧教官と比べれば、ふとした弾みであっさり脱げてしまいそうな危うさ、あやふやさ。まあ、だからこそ最も重要な局面では一番柔軟な戦術を採れるのでしょうけれど。外はサクサク中はアツアツなのが魅力的なのは、何も食品だけではなく、人間もまた同じと言う事です。「サクサクと言うよりガチガチじゃ?」って突っ込みは、言うまでもなく、野暮。笑。
”昭和の生化学無差別テロ”――やっぱり、あの事件が直接のモチーフでしょうかね。
続刊でも実際に起きた重大事件に酷似したケースがちらほら出て来るのですが、図書隊、良化特務機関の存在を除けばこの架空世界も現実世界も世間の反応や対応にそれ程の変化が見受けられないような気がするのは、リアルな話、ぞっとしません。そう言う意味でこの話はフィクションではあってもフェイクではないようにも思えます、よ。
そしてやっぱり何度読み返しても郁は野明(パトレイバー)にしか見えてこないこの不思議。