【 図書館戦争 】
( 一般書籍・小説 / 有川浩 / メディアワークス )
前々から興味はありつつもハードカバーと言う難題(単に価格の問題)を前に購入を足踏みしていました。で、漸くこのシリーズ第一作を買った途端に行きつけの方々のサイト様で図書館ブームが巻き起こってあっさり巻き込まれ全作購入した日和っ子が、このサイトの何処かに潜んで(ませんむしろ堂々と)
元々、図書館司書を割と真面目に志望していた一時期があったりするので、舞台設定も時代背景もすんなり受け入れ飲み込めました。堂上教官のこの名字を見た瞬間に脊髄反射で「どのうえ」と読解したのは自分だけではないよねェ、と思いたいもの(プロ野球の某球団にこの名字でそう読む選手がいるのです)。彼が手塚に向けて言った【正論】に関する一言が心にずっしりぐっさりと沈着するのは、普段から無意識に正しさの確かさを妄信し、正しさの”確からしさ”を検証する事をついつい疎かにしがちになっている事への警鐘なのかな、とも思います。まあ、堂上教官自身は正論を身体の中まで染み渡らせていると言うよりは、あくまでも外骨格――それこそ衣服として纏っていると言う風に解釈しているのですが。正論が身体の内側で血肉となっている小牧教官と比べれば、ふとした弾みであっさり脱げてしまいそうな危うさ、あやふやさ。まあ、だからこそ最も重要な局面では一番柔軟な戦術を採れるのでしょうけれど。外はサクサク中はアツアツなのが魅力的なのは、何も食品だけではなく、人間もまた同じと言う事です。「サクサクと言うよりガチガチじゃ?」って突っ込みは、言うまでもなく、野暮。笑。
”昭和の生化学無差別テロ”――やっぱり、あの事件が直接のモチーフでしょうかね。
続刊でも実際に起きた重大事件に酷似したケースがちらほら出て来るのですが、図書隊、良化特務機関の存在を除けばこの架空世界も現実世界も世間の反応や対応にそれ程の変化が見受けられないような気がするのは、リアルな話、ぞっとしません。そう言う意味でこの話はフィクションではあってもフェイクではないようにも思えます、よ。
そしてやっぱり何度読み返しても郁は野明(パトレイバー)にしか見えてこないこの不思議。