創作サイト【文燈】の雑記、一次、二次創作書き散らし用ブログ。
休止解除しました。創作関連はサイトでの更新に戻るので今後は雑記、返信等が中心となるでしょう。更新が鈍い場合はツイッター(http://twitter.jp/gohto_furi)に潜伏している可能性が、大。
盆に買った懐中時計をもう一ヶ月以上仕舞い込んだままだった事に気が付いて、久々に引っ張り出してみた。買った時の説明通り何十秒か時間が遅れている…けれどまだ合わせ直すほどの誤差じゃあない、か。これ(クオーツ)も気に入ってはいるけれど、いずれは本格的な機械式懐中時計を手に入れてみたいものです。螺子を一日ごとにかっちかち巻いて懐に忍ばせれば気分は紛れもなく紛いだらけの似非紳士。笑。
懐中時計に出所の曖昧な憧れを抱くのは何故だろうと考えた時、「時間を閉じ込め、飼い慣らしている」感覚に満足感を覚えるからではないかとの解答が浮かぶ。普段は懐に忍ばせているそれを取り上げ、蓋を開いた瞬間に飼い慣らされていた時間は柵を越えて放牧に飛び出す。蓋を閉めればたちまち舞い戻るそれは、時間の牧畜とでも呼べばいいのかも。
腕時計や携帯電話では、時間との“距離”が近過ぎる。ひと手間ふた手間掛かる程度の距離が、何とも心地良い。
最近観直した【ガンダム00】で、ふと、「…この世紀(三世紀後)でも、一日は24時間で一年は太陽暦基準なんだろうか」とはっとなって疑問が湧いた。調べはしてない(調べよ)。三世紀も経過している割には記者会見の形式が今と大差なかったりファッションセンスの進化が皆無だったりと色々突っ込みたい所が山盛りですが、それはまた別のお話。
近・遠未来において、時間の基準が現代と様変わりしていたとしても、それは別に驚くような事ではないのでしょうね。地上におさらばしてドームやシェルターに完全密封された世界で生きている未来人を想像した時、彼らが太陽や月の振る舞いを基にした時間律に意味を見出さなくなって全く別の――トイレの芳香剤が切れるまでの間隔を一年とする――ルールが採用されていたって不思議じゃあない。既に現代でさえ、“共通語”である24時間265日のルールとは別に、【あのレアアイテムを獲ったら寝よう。起きたら即換金して、復活してまた獲れるようになるまで釣りしてよう】的な“方言”(個々人の時間律)が存在しているのですし。工場なんかで、掲示板の予定生産台数を見て「あと三台造れば休憩だ」と判断するのは方言と共通語のブレンド、ですかね。
そんな、同じ時間の“方言”を持つ者同士は寄り集まる。
必然的に趣味や特技は似通ってくるでしょうが、単純な同好の士とは、ちょっとだけ、微妙に違う。世の中には二通りの人間しかいない――カップラーメンの待ち時間(3分)の間、小説なり漫画なり何かしらを消費するか、ただ時間だけを消費するかの二通り。自分は前者。ついつい頁を進めすぎて「あれ、この秒針が12になったらあと一分だっけ二分だっけ?」とザル法よりも粗い網目で短期記憶を落っことす前者。……失笑
尖閣の一件。
チャーター機で船長を迎えに来る、と聞いて、これではまるで日本が拉致事件における北朝鮮的な立場だなーと率直に感じた。船長が帰国したら、あちらのニュースでは【日本に拉致されていた船長、英雄として帰還】と報道されるのではないだろうか。
開いた溝は深く、そこに巣食った不信の根は更に深い。
隣の部屋の住人の素性すら興味がない私達が、海を隔てた隣国とそこまでして仲良くなりたいのかどうかは、白紙の状態から一度冷静に考え込んでみるべきだとも思う。
懐中時計に出所の曖昧な憧れを抱くのは何故だろうと考えた時、「時間を閉じ込め、飼い慣らしている」感覚に満足感を覚えるからではないかとの解答が浮かぶ。普段は懐に忍ばせているそれを取り上げ、蓋を開いた瞬間に飼い慣らされていた時間は柵を越えて放牧に飛び出す。蓋を閉めればたちまち舞い戻るそれは、時間の牧畜とでも呼べばいいのかも。
腕時計や携帯電話では、時間との“距離”が近過ぎる。ひと手間ふた手間掛かる程度の距離が、何とも心地良い。
最近観直した【ガンダム00】で、ふと、「…この世紀(三世紀後)でも、一日は24時間で一年は太陽暦基準なんだろうか」とはっとなって疑問が湧いた。調べはしてない(調べよ)。三世紀も経過している割には記者会見の形式が今と大差なかったりファッションセンスの進化が皆無だったりと色々突っ込みたい所が山盛りですが、それはまた別のお話。
近・遠未来において、時間の基準が現代と様変わりしていたとしても、それは別に驚くような事ではないのでしょうね。地上におさらばしてドームやシェルターに完全密封された世界で生きている未来人を想像した時、彼らが太陽や月の振る舞いを基にした時間律に意味を見出さなくなって全く別の――トイレの芳香剤が切れるまでの間隔を一年とする――ルールが採用されていたって不思議じゃあない。既に現代でさえ、“共通語”である24時間265日のルールとは別に、【あのレアアイテムを獲ったら寝よう。起きたら即換金して、復活してまた獲れるようになるまで釣りしてよう】的な“方言”(個々人の時間律)が存在しているのですし。工場なんかで、掲示板の予定生産台数を見て「あと三台造れば休憩だ」と判断するのは方言と共通語のブレンド、ですかね。
そんな、同じ時間の“方言”を持つ者同士は寄り集まる。
必然的に趣味や特技は似通ってくるでしょうが、単純な同好の士とは、ちょっとだけ、微妙に違う。世の中には二通りの人間しかいない――カップラーメンの待ち時間(3分)の間、小説なり漫画なり何かしらを消費するか、ただ時間だけを消費するかの二通り。自分は前者。ついつい頁を進めすぎて「あれ、この秒針が12になったらあと一分だっけ二分だっけ?」とザル法よりも粗い網目で短期記憶を落っことす前者。……失笑
尖閣の一件。
チャーター機で船長を迎えに来る、と聞いて、これではまるで日本が拉致事件における北朝鮮的な立場だなーと率直に感じた。船長が帰国したら、あちらのニュースでは【日本に拉致されていた船長、英雄として帰還】と報道されるのではないだろうか。
開いた溝は深く、そこに巣食った不信の根は更に深い。
隣の部屋の住人の素性すら興味がない私達が、海を隔てた隣国とそこまでして仲良くなりたいのかどうかは、白紙の状態から一度冷静に考え込んでみるべきだとも思う。
PR
正体自明のストレス(おしごと)に追い立てられては追い払いながらあっと言う間に一週間が過ぎて行った。みくしやらついったやらに繋ぐ気も起こらない代わりに手早く時間が廻って行くこの状況を喜ぶべきか悲しむべきか……とりあえず今の仕事にすっぱりと区切りを付けたい気持ちだけは順調に育っているけれど。苦笑。
【食べる人類誌】(フェリペ・フェルナンデス=アルメスト/ハヤカワNF文庫)を、一週間以上掛けて漸く一読した。
食から読み解く人類の食史は、文字通り人類史を食べているような壮大な満腹感に浸れる代物。カニバリズム史に出てくる著名(?)な食人者の通称を見ていると脊髄反射で【され竜】の人々を思い出す――まあ実際最新刊でいたし(モーフィース)――のは無理もない話。冒頭のワーズワースの詩はマクドナルドやKFCの店先に刻み付けておきたい、と真剣に思った。
“コロンブスの交換”からファーストフードという現代病の蔓延に至る流れでは、世界を転戦する食物に【ライトノベル】を重ね合わせた。食物に半歩遅れて、芸術、文学もまたその生態系を各地で交換し合いながら新たな品種を育み続けている。ネットその他による情報の膨張と複層、輻輳があくまで料理の一品目でしかなかったラノベをファーストフード的な軽食へと様変わりさせたのは疑いの余地の少ない所。尤も、そこに革命めいた変異はない。ブギーポップにしても革命者というよりは「何故誰もこの壁を越えないんだい?」と【おとなり】との壁を最初に飛び越えた越境者的なものとして捉えています。SFやら学園やら伝奇やらの“小”ベルリンの壁が取り払われた事で、全部ひっくるめて【ライトノベル】という巨大な微理解の絶壁で囲われてしまったのは、ある意味皮肉な成り行きなのかもしれませんけど。そう名付けられた瞬間、現象は産業へと拘束されてしまったのだろうから。
「カレーは飲み物」と仰った偉人がいた。ならば今や「物語も飲み物」だと素で思う。ファーストフード全般も食べ物というよりは飲み物に近いんじゃないかな……どちらにせよ、その場その場の活力と水分補給にはなっても本格的な栄養にはならない。今後は電子書籍メディアの有力コンテンツとして更なる低価格化と紙媒体からの離脱が進むであろうこの軽食は、最終的にどこに着地するのでしょうね。
……個人的には、【芸術】や【食事】よりも、むしろ【医療】の分野に着地しそうな気がしてならない。数十年後の電子医院でホログラフィックのお医者様が処方箋として提供するレシピの中に、ある特定の“効能”を持ち合わせたサプリメントとして【飲物語/ラノべ】が含まれている近未来を想像してみた。
そんなには違和感は膨れない。
飲み薬としてのサプリメント小説は、とっくの昔に世の中を席巻しているのだから。
それにしても秋山君とガーべラお嬢さんの勢いは止まらないですね。さて、どこまで続くだろう。(分かるのか)(分かる人には)
【食べる人類誌】(フェリペ・フェルナンデス=アルメスト/ハヤカワNF文庫)を、一週間以上掛けて漸く一読した。
食から読み解く人類の食史は、文字通り人類史を食べているような壮大な満腹感に浸れる代物。カニバリズム史に出てくる著名(?)な食人者の通称を見ていると脊髄反射で【され竜】の人々を思い出す――まあ実際最新刊でいたし(モーフィース)――のは無理もない話。冒頭のワーズワースの詩はマクドナルドやKFCの店先に刻み付けておきたい、と真剣に思った。
“コロンブスの交換”からファーストフードという現代病の蔓延に至る流れでは、世界を転戦する食物に【ライトノベル】を重ね合わせた。食物に半歩遅れて、芸術、文学もまたその生態系を各地で交換し合いながら新たな品種を育み続けている。ネットその他による情報の膨張と複層、輻輳があくまで料理の一品目でしかなかったラノベをファーストフード的な軽食へと様変わりさせたのは疑いの余地の少ない所。尤も、そこに革命めいた変異はない。ブギーポップにしても革命者というよりは「何故誰もこの壁を越えないんだい?」と【おとなり】との壁を最初に飛び越えた越境者的なものとして捉えています。SFやら学園やら伝奇やらの“小”ベルリンの壁が取り払われた事で、全部ひっくるめて【ライトノベル】という巨大な微理解の絶壁で囲われてしまったのは、ある意味皮肉な成り行きなのかもしれませんけど。そう名付けられた瞬間、現象は産業へと拘束されてしまったのだろうから。
「カレーは飲み物」と仰った偉人がいた。ならば今や「物語も飲み物」だと素で思う。ファーストフード全般も食べ物というよりは飲み物に近いんじゃないかな……どちらにせよ、その場その場の活力と水分補給にはなっても本格的な栄養にはならない。今後は電子書籍メディアの有力コンテンツとして更なる低価格化と紙媒体からの離脱が進むであろうこの軽食は、最終的にどこに着地するのでしょうね。
……個人的には、【芸術】や【食事】よりも、むしろ【医療】の分野に着地しそうな気がしてならない。数十年後の電子医院でホログラフィックのお医者様が処方箋として提供するレシピの中に、ある特定の“効能”を持ち合わせたサプリメントとして【飲物語/ラノべ】が含まれている近未来を想像してみた。
そんなには違和感は膨れない。
飲み薬としてのサプリメント小説は、とっくの昔に世の中を席巻しているのだから。
それにしても秋山君とガーべラお嬢さんの勢いは止まらないですね。さて、どこまで続くだろう。(分かるのか)(分かる人には)
本屋にはそうそう頻繁には足を運ばない。必然的に、行った際にはほぼ確実に複数冊を買っていく事になる。
昨日行った時も例外ではなく、【円環少女】、【ベティ・ザ・キッド】(でもキッドじゃない)、【ランジーン×コード】といったラノべ群のみが目的だったのに気が付けばもう一冊収穫が増えていた――【食べる人類誌】(ハヤカワ文庫NF)。実を言うと前々から気になってはいた一冊だったので完全な計算外という訳でもないですが、現状を鑑みるとちょいとばっかし重量感のあり過ぎる文庫かもしれないなーと買った直後は思っていた。
しかし読み始めると大いにのめり込む。このレーベルで思い出すのはこの間買った【神話の力】だけれど、もしかするとあれよりもある意味で神話や歴史の根源に直結しているのかも知れない。食から読み取る・掴み解く人類誌には、地に足の着いた切実で素面な人間たちの“食べカス”が、(幸運にも)ろくに掃除がされないまま遺留品としてしっかりへばり付いているのです。食の歴史という時点で事前にうっすら想像はしていたけれど、想像以上の密度でカニバリズムの話題が展開されている頁に接触した時には心が仰け反った。
『十八世紀の北米のインディアン戦争では、マサチューセッツ州軍のある兵士が、自分の仲間が敵に「ひどく悲しいペースで」少しずつ焼かれるのを見てふるえあがった。』
何一つ残虐な表現は含まれてないのにこれ以上に残酷な表現もない、と、心底思う。
まだ四文の一程度しか読破していませんがなかなか面白い一冊なのでお薦めです。ご飯のお供に是非。(一部例外)(笑)
しごとのすとれすが
なんねんかぶりに きけんすいいをとっぱしている きょうこのごろ
辞める時期を前倒ししたいなー、と一日に三回ぐらい物思いに溺れる。秋の終わりまでは、まだ遠い。
昨日行った時も例外ではなく、【円環少女】、【ベティ・ザ・キッド】(でもキッドじゃない)、【ランジーン×コード】といったラノべ群のみが目的だったのに気が付けばもう一冊収穫が増えていた――【食べる人類誌】(ハヤカワ文庫NF)。実を言うと前々から気になってはいた一冊だったので完全な計算外という訳でもないですが、現状を鑑みるとちょいとばっかし重量感のあり過ぎる文庫かもしれないなーと買った直後は思っていた。
しかし読み始めると大いにのめり込む。このレーベルで思い出すのはこの間買った【神話の力】だけれど、もしかするとあれよりもある意味で神話や歴史の根源に直結しているのかも知れない。食から読み取る・掴み解く人類誌には、地に足の着いた切実で素面な人間たちの“食べカス”が、(幸運にも)ろくに掃除がされないまま遺留品としてしっかりへばり付いているのです。食の歴史という時点で事前にうっすら想像はしていたけれど、想像以上の密度でカニバリズムの話題が展開されている頁に接触した時には心が仰け反った。
『十八世紀の北米のインディアン戦争では、マサチューセッツ州軍のある兵士が、自分の仲間が敵に「ひどく悲しいペースで」少しずつ焼かれるのを見てふるえあがった。』
何一つ残虐な表現は含まれてないのにこれ以上に残酷な表現もない、と、心底思う。
まだ四文の一程度しか読破していませんがなかなか面白い一冊なのでお薦めです。ご飯のお供に是非。(一部例外)(笑)
しごとのすとれすが
なんねんかぶりに きけんすいいをとっぱしている きょうこのごろ
辞める時期を前倒ししたいなー、と一日に三回ぐらい物思いに溺れる。秋の終わりまでは、まだ遠い。
“だから「解毒剤」がつくられるとしたら、それは「文法」に対する解毒剤というよりは、完全平和状態、完全理性状態を人類にもたらすような、ある意味で「文法」の鏡写し、それはそれで想像するとちょっと恐ろしい別世界をつくりあげるツールになるでしょうね。”
――【伊藤計劃記録】P167
「文法」=【虐殺器官】のその先を述べているこの一文は、紛れもなく【ハーモニー】の世界像を指し示している。器官が世に出てそれほど時間が経っていないこの時点で既にハーモニーの基盤は固まっていた、と言う事ですか――文法の鏡写し。器官の「文法」が【~せよ】というある種の行動を促すものの群体であるとすれば、ハーモニーの「文法」は【~すべきでない】という抑制の羅列のように思えます。解放と抑制の鏡写し。ただ、ハーモニーが【抑制器官】的なタイトルで売り出されたなら確実にWatchMeならぬWatchOnly(素通り)されて世には広まらなかったでしょうが(笑)。
ハーモニーの装丁をウェブ上で初めて見た時のあの染み込むような悪寒は、忘れ難い。ある一つの調和は、それよりも小さい調和の無限の複製に他ならない……個性の複製が形作る無個性の調和。そんな微笑み混じりのグロテスクさだからこそ、このタイトルが鮮烈で辛辣な輝きを放っているように思えたものでした。
そんな計劃さんの【伊藤計劃記録】、未読のままだったインタヴュー部分の残りを一気に読み進めた。盟友・円城塔氏との座談の中での【装飾と構造】のくだりはとっても納得。全ての要素に情報入りのタグを埋め込むのが計劃さんなら、構造された世界という一つのモデルに「このセカイの成分:人、空気、牛乳、靴下、悪の電子頭脳、……」と構成要素をまるごと箇条書きしておくのが円城スタイルなのかな、とか。この二人が共著したSF作品を、観てみたかった。本当に。
未完の【屍者の帝国】の冒頭部分を読んで、【トリニティ・ブラッド】を想像した人は少なくないのでは、と感じた。
と同時に、そのトリブラの著者さん(故・吉田直)の事を思うと運命とか人生とか宿命とかの諸単語の酷薄さを感じずにもいられなかった。死神の(鎌の)精度はFIFAの審判の世紀の大誤審なんて目じゃない脅威の低クオリティなのです。
あちらの世界には、そんなにも、娯楽の提供者が足りないのだろうか。
上京中の妹から『オーラを見てくれるとこの場所教えて』(母親経由で伝わっていた模様)とのメールがやってくる。
で、場所とか営業時間とかを詰め込んだ返信を送り返した。明日以降に行くのだろうけれど、どのくらい感化されて帰ってくるだろうか……若干(偽らざる本音)楽しみ。笑。
部屋の一角を占拠しているバベル(または賽の河原)の積み本の最上段に今置いてある【神話の力】を、ちょっと眼が疲れている時にうっかり題名と読み間違えてしまった事から、ふと「世界各地の神話・宗教の神々が一堂に会して相手を論破するディベートW杯を開催したら、優勝するのはどこの神様になるだろうか」と、これまた脳が疲れている事明白な悩みが発生したりした。
客観的に考えて、基本的に多神教>一神教の構図が成り立ちそうですね。一神教の絶対神さまはそもそも誰かを言い負かす必要がないから多神教学級の中に必ず1人はいるであろうお騒がせのトリックスター辺りにするすると言い包められそうだ…笑。基督教のなにがしさんは多分アジア最終予選で仏教やヒンドゥー教といった優勝候補に捻られて本大会出場を逃す事請け合いかと。このワールドカップならアジアこそ最激戦区か――日本代表になる事がまず一番難しそう。一粒のお米を代表するのでさえ、七人による激戦を勝ち抜かねばならない死のグループ。…談合がお家芸として発達するのもさもありなん、ですよ(違)。
優勝が何処の誰になるかはさておき、暇を持て余した神々は血生臭い刃は引いて、どこぞのモンスターエンジンみたいにもうちょっと心優しく生温いひとり/ふたり/みんな遊びにこそ興じるべきだと思うのです。
話力の他にも、色々な【力/癖】で競ったならば、どんな神様が頂点の座に就くだろうか。
その中で【手癖】について考えてみたら、真っ先にプロメテウスが脳裏をよぎって墜落した。ご存知、人間のために火を盗んだありがたくも手癖の怪しい(コラ)神様。実を言うと自分はこの神様が何故だか大好きで、メガテンシリーズのトレカとして存在する悪魔絵師金子・画のプロメテウスを財布に忍ばせていたり……特殊能力【先見】や【ワイズヒュー】は大真面目に欲しい。ストレンジジャーニー(DS)で登場した時には無駄に強化を施して中途半端に役立つサブメンバーとして連れ回しました。笑。
せっかくなので(誰もプレイしてる人はいないと悟りつつ)、そのパスワードを以下に。
<魔神プロメテウス LV73>
SせCふえゆにはTPえDJEよA
ひきさきGみんなWSかNもうかり
下段のパスがちょっとだけ愉快な文章と化しています。【みんなでG(ゴキ)を引き裂き、WS(ワンダースワン)で菅総理は儲かる】という…(ちょう意訳)
パスワードをキャンセルする度に全く新しいパスが出るので、上記のような文章に行き当たるまでしつこく粘ってみた。濁点文字は出ませんが、小十二時間(長)ほど粘ってみれば【はらたかし】(首相)とか【はらたいら】(三千点)とか【みのもんた】(色黒)とかは出そうな気がする。多分出るでしょう。【いろはにほへと……】はどんなに軽く淡く見積もっても三日三晩は掛かりそうですから、くれぐれも挑戦はしないように。
――とか書いていたら、プロメテウスを贔屓する理由に一つ思い当たった。
小学生の頃は実は大層手癖の悪い餓鬼でした。彼が火を盗んでゼウスから責め苦を受けたように、この自分もナントカGメンのいらっしゃらないスーパーで度々アレをソレしていたらある日とうとうそこの店長にとっ捕まってどっぷりじっとりと説教を食らったあの頃の思い出が、ほら、走馬灯の根元で死体みたいに埋まっている。(埋めた当人)(で、これ、悲しいかな全編実話)
あの店長の顔が藤田まことにそっくりだった事は強く印象に残っている。顔、ぜーんぜん思い出せないのに、なんでか、憶えている。
客観的に考えて、基本的に多神教>一神教の構図が成り立ちそうですね。一神教の絶対神さまはそもそも誰かを言い負かす必要がないから多神教学級の中に必ず1人はいるであろうお騒がせのトリックスター辺りにするすると言い包められそうだ…笑。基督教のなにがしさんは多分アジア最終予選で仏教やヒンドゥー教といった優勝候補に捻られて本大会出場を逃す事請け合いかと。このワールドカップならアジアこそ最激戦区か――日本代表になる事がまず一番難しそう。一粒のお米を代表するのでさえ、七人による激戦を勝ち抜かねばならない死のグループ。…談合がお家芸として発達するのもさもありなん、ですよ(違)。
優勝が何処の誰になるかはさておき、暇を持て余した神々は血生臭い刃は引いて、どこぞのモンスターエンジンみたいにもうちょっと心優しく生温いひとり/ふたり/みんな遊びにこそ興じるべきだと思うのです。
話力の他にも、色々な【力/癖】で競ったならば、どんな神様が頂点の座に就くだろうか。
その中で【手癖】について考えてみたら、真っ先にプロメテウスが脳裏をよぎって墜落した。ご存知、人間のために火を盗んだありがたくも手癖の怪しい(コラ)神様。実を言うと自分はこの神様が何故だか大好きで、メガテンシリーズのトレカとして存在する悪魔絵師金子・画のプロメテウスを財布に忍ばせていたり……特殊能力【先見】や【ワイズヒュー】は大真面目に欲しい。ストレンジジャーニー(DS)で登場した時には無駄に強化を施して中途半端に役立つサブメンバーとして連れ回しました。笑。
せっかくなので(誰もプレイしてる人はいないと悟りつつ)、そのパスワードを以下に。
<魔神プロメテウス LV73>
SせCふえゆにはTPえDJEよA
ひきさきGみんなWSかNもうかり
下段のパスがちょっとだけ愉快な文章と化しています。【みんなでG(ゴキ)を引き裂き、WS(ワンダースワン)で菅総理は儲かる】という…(ちょう意訳)
パスワードをキャンセルする度に全く新しいパスが出るので、上記のような文章に行き当たるまでしつこく粘ってみた。濁点文字は出ませんが、小十二時間(長)ほど粘ってみれば【はらたかし】(首相)とか【はらたいら】(三千点)とか【みのもんた】(色黒)とかは出そうな気がする。多分出るでしょう。【いろはにほへと……】はどんなに軽く淡く見積もっても三日三晩は掛かりそうですから、くれぐれも挑戦はしないように。
――とか書いていたら、プロメテウスを贔屓する理由に一つ思い当たった。
小学生の頃は実は大層手癖の悪い餓鬼でした。彼が火を盗んでゼウスから責め苦を受けたように、この自分もナントカGメンのいらっしゃらないスーパーで度々アレをソレしていたらある日とうとうそこの店長にとっ捕まってどっぷりじっとりと説教を食らったあの頃の思い出が、ほら、走馬灯の根元で死体みたいに埋まっている。(埋めた当人)(で、これ、悲しいかな全編実話)
あの店長の顔が藤田まことにそっくりだった事は強く印象に残っている。顔、ぜーんぜん思い出せないのに、なんでか、憶えている。