創作サイト【文燈】の雑記、一次、二次創作書き散らし用ブログ。
休止解除しました。創作関連はサイトでの更新に戻るので今後は雑記、返信等が中心となるでしょう。更新が鈍い場合はツイッター(http://twitter.jp/gohto_furi)に潜伏している可能性が、大。
今のお仕事に(年内一杯辺りで)区切りを付ける気持ちが、ある程度固まってきた。元々、適切な“次”が見付かるまでの一時避難場所として入ったのでとっくの昔に辞めている筈だったのが、気が付けば当初の予定の数倍の日々を過ごしていた……必ずしも居心地が悪い訳ではないけれど、実際問題、幾ら続けても【上】に行ける機会がないし資格にもならない以上、見切りは今の内に付けておくべきなのです。――のです(自分に言い聞かせるように)
それについては精神面で目処が立った。
その代わり――今度は年末までに何かしら“今の内にしておくべき事”が必要になる。ただ働くだけではあまりにも無味乾燥で意欲の湧かないお仕事(=時間が過ぎるのを遅く感じる)なので、月日を濃密に、あっと言う間に過ぎさせる何かが必要なのですよね。
という訳で。
春先に一度実行しかけて敢え無く挫折した、とある創意工夫に再挑戦する事に。
ステップ1→まず必要なもの:考えるための頭、情報を収集するための足
ステップ2→次に必要なもの:キーを叩くための指先
ステップ3→最後に必要なもの:良心的なお値段でイイお仕事をしてくれる印刷業者
場合によっては仕事の区切りが早まったりするかもしれないけれど、どの時点になったとしても年末までに上記の3ステップを実行するのを理想としています。現実的に考えると、指先のお仕事が終わっていれば上出来でしょうが。出来上がったブツを幾らか抱えて冬コミ(ぎりぎり行けそう、というか出来うる限りは行くつもり)で見知った方々に見て貰う…………のは現時点では果てしない妄想の賜物なのでここテストに出ないよーチェックするなよー、と。笑
幾つかの仕組みと核心の用語については春先の時点で既に固まっている。そこからの一皮二皮をどう剥いて行くかが、当面の課題か。
宣言する事によって逃げ道は塞ぎました。(ティッシュ詰めただけに等しいけれど)
創作ではなく限りなく論文に近い代物になるでしょう。ある意味、これは自分の卒論になるべき代物だから。
それについては精神面で目処が立った。
その代わり――今度は年末までに何かしら“今の内にしておくべき事”が必要になる。ただ働くだけではあまりにも無味乾燥で意欲の湧かないお仕事(=時間が過ぎるのを遅く感じる)なので、月日を濃密に、あっと言う間に過ぎさせる何かが必要なのですよね。
という訳で。
春先に一度実行しかけて敢え無く挫折した、とある創意工夫に再挑戦する事に。
ステップ1→まず必要なもの:考えるための頭、情報を収集するための足
ステップ2→次に必要なもの:キーを叩くための指先
ステップ3→最後に必要なもの:良心的なお値段でイイお仕事をしてくれる印刷業者
場合によっては仕事の区切りが早まったりするかもしれないけれど、どの時点になったとしても年末までに上記の3ステップを実行するのを理想としています。現実的に考えると、指先のお仕事が終わっていれば上出来でしょうが。出来上がったブツを幾らか抱えて冬コミ(ぎりぎり行けそう、というか出来うる限りは行くつもり)で見知った方々に見て貰う…………のは現時点では果てしない妄想の賜物なのでここテストに出ないよーチェックするなよー、と。笑
幾つかの仕組みと核心の用語については春先の時点で既に固まっている。そこからの一皮二皮をどう剥いて行くかが、当面の課題か。
宣言する事によって逃げ道は塞ぎました。(ティッシュ詰めただけに等しいけれど)
創作ではなく限りなく論文に近い代物になるでしょう。ある意味、これは自分の卒論になるべき代物だから。
PR
仕事中に、なぜか突然LOVE PSYCHEDELICO【Free World】が脳裏をジャックしたので帰宅して無心でべったり聴き倒す。
この分野の音楽の備蓄(?)はとても少ないのですが、この曲は不思議と気に入っている。そういえばとあるオフ会で無謀にもこの曲に挑戦したことがあったな……周りの人々の反応は敢えて窺わなかった。たぶんそれ大正解。
一冊の本を繰り返し繰り返し読んで行くと、最初はその中身を【文章(文・単語)】として思い出していたのが、次第に【ページ(文章・面)】として思い出せるようになってくる。テキストデータとしてではなく【書籍】そのものが脳裏にふんわり浮かんで、思うが侭にページを捲れるような感覚――実際にはまだその五十歩、百歩手前のおぼろげなイメージでしかないですが。やがて時代が頭脳への電子的接続を許容し、脳に直接データを流し込めるようになった時、PDF形式のデータが流し込まれたら上記の感覚が完全に体験できるのかなー、と。
最近(わたしのなかだけで)話題の【食べる人類誌】を、毎日一度は最初から最後までハイスピードで流し読みしています。“食”は自分の知識の中ではかなり未開の地域だったので、変に身構える事無く素直に己が無知を受け入れて読み進められる。あと一ヶ月位同じ読み方を続けたら、ページの拡大・縮小ぐらいは自在にできるようになるだろうか…笑。
著者さんの別の作品(【ミレニアム】等)も、機会があれば読んでみたいな。機知の水深はとっても深い。
食べ物、輝かしい食べ物、
缶詰、パック、冷凍物、
食べ物、輝かしい食べ物、
あなたが選んだのはどれ?
プラスチックの袋に入った粉末スープ、
磨きあげた木のように固いステーキ、
北極の岩山のような魚のカツレツ、
密封されたプリン。
食べ物、輝かしい食べ物、
調理済み、すりおろし済みの、
食べ物、輝かしい食べ物、
血を抜いてゼラチン化した……
――J・B・ブースロイド『オリンピア・ナウ』
作中の引用詞の中で、冒頭のワーズワースと並んで轢き込まれた(表現間違ってない)のがこの詞。
“輝かしい”という言葉に幾重にも塗り重ねられた皮肉の地層を感じる。呪詛だ。子供たちが手を繋いで輪を作ってくるくる回りながらこの詞を朗らかに歌っている光景が、目に、浮かぶ。
この分野の音楽の備蓄(?)はとても少ないのですが、この曲は不思議と気に入っている。そういえばとあるオフ会で無謀にもこの曲に挑戦したことがあったな……周りの人々の反応は敢えて窺わなかった。たぶんそれ大正解。
一冊の本を繰り返し繰り返し読んで行くと、最初はその中身を【文章(文・単語)】として思い出していたのが、次第に【ページ(文章・面)】として思い出せるようになってくる。テキストデータとしてではなく【書籍】そのものが脳裏にふんわり浮かんで、思うが侭にページを捲れるような感覚――実際にはまだその五十歩、百歩手前のおぼろげなイメージでしかないですが。やがて時代が頭脳への電子的接続を許容し、脳に直接データを流し込めるようになった時、PDF形式のデータが流し込まれたら上記の感覚が完全に体験できるのかなー、と。
最近(わたしのなかだけで)話題の【食べる人類誌】を、毎日一度は最初から最後までハイスピードで流し読みしています。“食”は自分の知識の中ではかなり未開の地域だったので、変に身構える事無く素直に己が無知を受け入れて読み進められる。あと一ヶ月位同じ読み方を続けたら、ページの拡大・縮小ぐらいは自在にできるようになるだろうか…笑。
著者さんの別の作品(【ミレニアム】等)も、機会があれば読んでみたいな。機知の水深はとっても深い。
食べ物、輝かしい食べ物、
缶詰、パック、冷凍物、
食べ物、輝かしい食べ物、
あなたが選んだのはどれ?
プラスチックの袋に入った粉末スープ、
磨きあげた木のように固いステーキ、
北極の岩山のような魚のカツレツ、
密封されたプリン。
食べ物、輝かしい食べ物、
調理済み、すりおろし済みの、
食べ物、輝かしい食べ物、
血を抜いてゼラチン化した……
――J・B・ブースロイド『オリンピア・ナウ』
作中の引用詞の中で、冒頭のワーズワースと並んで轢き込まれた(表現間違ってない)のがこの詞。
“輝かしい”という言葉に幾重にも塗り重ねられた皮肉の地層を感じる。呪詛だ。子供たちが手を繋いで輪を作ってくるくる回りながらこの詞を朗らかに歌っている光景が、目に、浮かぶ。
おとくいさま、であって決して【ネクラ】ではない
家賃振込み――平日は仕事上無理――に外出したついでに、ぶくおふでジャズ(的な)、レゲエの中古アルバムを買って帰った。直感とか感性とかの遥か手前の「どーれーにするまでもなくえいやっ」と大真面目に適当に選ぶ。一曲でも“当たり”があれば投資の成果は上々なお値段だからこそのちびっちゃい暴挙。
帰ってから早速聴いてみた。
【L'HISTOIRE DE JACK LE JAZZMAN】(DAVID DEXTER D.)――分類的にはジャズらしいけれど、紹介文でも書かれていたように“っぽい”印象ではなかった。ジャズを原材料にしたやや変化球的な代物と理解すればいいんだろうか。【ジャック・ル・ジャズマン】や【テキーラ】は多分聴いた事のある曲だけれど、このデヴィッドさんとやらのアレンジが施されたものなんでしょう。これまで殆ど触れた事の無いジャンル、且つ無作為に選んだものなので流石に即お気に入り、とはなりませんが、ジャンル全体の雰囲気に慣れる為にも聴き込みを積み重ねて行くつもり。収録曲の一つ【FLY ME TO THE MOOD】は正面突破のパクリなのか偶然のニアミスなのかが、個人的にすごーく気になっております。笑
もう片方のレゲエは、予想通りの”っぽい!”代物。ジャズと比べると一般的なイメージの領域が狭い(誰が想像してもほぼ同じ曲調に至る)ので、その意味では安心できそうな感じがする。二枚組のアルバムだったのですがその片割れが明らかに違った(マスター、あちらの席のぶくおふにイエローカードを)……幸か不幸かほぼ同じ種類の内容だったので交換に行くのは思い止まる。むしろこっちの方が当たりかも。
どちらのジャンルも、自分が求めている要素は【聴く】ではなく【飲む】。
意図を持って咀嚼する一手間を省いた、良性のノイズとして聴き流せる音楽を求めています。職場ですぐ傍の同僚(と表現するのにいささか抵抗がなくもない)達がそれはもうハイエンドな音量と頻度でお喋りを繰り広げている中、必死にそれをノイズとして“聞き”流そうとするけれど不幸の中の不幸な事にそれが意味の解りやす過ぎる悪性ノイズだから脳味噌が自動的に解釈を始めてしまうのですよね……お陰で脳内メモリが随時過負荷状態。せめて中国語かスワヒリ語かエスペラントかモールス信号か顔文字でやり取りしてくれれば脳も無視してくれるのでしょうが。
“DNA配列を音楽としてあらわしてゆくと、モーツァルトの旋律に似ていたりする。”
【サウンド・エシックス】(小沼純一)の中ではそんな引用がなされていますが、上記同僚さん達のおしゃべりやらついった上での呟きやら給料明細やら履歴書やらを音楽変換したらどうなるだろうとかを疲れに関係なく時々考える。少なくとも件のおしゃべりがジョン・ケージとは似ても似つかぬ場所に着地するであろう事だけは確信できた――や、聴いた事はないんですけどね、《四分三十三秒》とか。そもそもそれが売り物になっているか自体疑問ですが。ある意味現地の空気を詰めた空の瓶土産と同じ、と言ってしまいたい衝動が。(もう遅い)
あ、
言葉を音楽にすると言えば、アレがあった。
自動作曲システム【Orpheus(オルフェウス)】
http://hil.t.u-tokyo.ac.jp/~orpheus/
正確には“言葉に応じた音楽を付けている”ものなのでしょうが、色々と歌詞を試してみると笑いとそれ以外のツボを刺激してくれる筈。これが順調に進化していけば音楽屋の仕事は綺麗さっぱり無くなる――と、も言い切れないですが。ひとは、音楽に“手垢”を求めずにはいられないもの。
完全に当初の話題から脱線混線且つ伝線したので、音の話はこの位にー。
アルバムと一緒に、グレッグ・イーガン短編集【しあわせの理由】も買った。
イーガンの作品を読むのは今回が初めてですが、冒頭の一篇を読んだだけでこの人が評価される理由と理屈の一片は掴めた気がする。科学的に淡々と積み重ねられていく非人間性のエグさには強烈過ぎない(からこそより逃れにくい)魔力が込められています。
最近はラノベ以外だとSFか専門的文庫を読んでばかりだな、自分――とはいえそれが正解であるのも事実。今の内に、読めるものはしっかり読み尽くしておかないと。
盆に買った懐中時計をもう一ヶ月以上仕舞い込んだままだった事に気が付いて、久々に引っ張り出してみた。買った時の説明通り何十秒か時間が遅れている…けれどまだ合わせ直すほどの誤差じゃあない、か。これ(クオーツ)も気に入ってはいるけれど、いずれは本格的な機械式懐中時計を手に入れてみたいものです。螺子を一日ごとにかっちかち巻いて懐に忍ばせれば気分は紛れもなく紛いだらけの似非紳士。笑。
懐中時計に出所の曖昧な憧れを抱くのは何故だろうと考えた時、「時間を閉じ込め、飼い慣らしている」感覚に満足感を覚えるからではないかとの解答が浮かぶ。普段は懐に忍ばせているそれを取り上げ、蓋を開いた瞬間に飼い慣らされていた時間は柵を越えて放牧に飛び出す。蓋を閉めればたちまち舞い戻るそれは、時間の牧畜とでも呼べばいいのかも。
腕時計や携帯電話では、時間との“距離”が近過ぎる。ひと手間ふた手間掛かる程度の距離が、何とも心地良い。
最近観直した【ガンダム00】で、ふと、「…この世紀(三世紀後)でも、一日は24時間で一年は太陽暦基準なんだろうか」とはっとなって疑問が湧いた。調べはしてない(調べよ)。三世紀も経過している割には記者会見の形式が今と大差なかったりファッションセンスの進化が皆無だったりと色々突っ込みたい所が山盛りですが、それはまた別のお話。
近・遠未来において、時間の基準が現代と様変わりしていたとしても、それは別に驚くような事ではないのでしょうね。地上におさらばしてドームやシェルターに完全密封された世界で生きている未来人を想像した時、彼らが太陽や月の振る舞いを基にした時間律に意味を見出さなくなって全く別の――トイレの芳香剤が切れるまでの間隔を一年とする――ルールが採用されていたって不思議じゃあない。既に現代でさえ、“共通語”である24時間265日のルールとは別に、【あのレアアイテムを獲ったら寝よう。起きたら即換金して、復活してまた獲れるようになるまで釣りしてよう】的な“方言”(個々人の時間律)が存在しているのですし。工場なんかで、掲示板の予定生産台数を見て「あと三台造れば休憩だ」と判断するのは方言と共通語のブレンド、ですかね。
そんな、同じ時間の“方言”を持つ者同士は寄り集まる。
必然的に趣味や特技は似通ってくるでしょうが、単純な同好の士とは、ちょっとだけ、微妙に違う。世の中には二通りの人間しかいない――カップラーメンの待ち時間(3分)の間、小説なり漫画なり何かしらを消費するか、ただ時間だけを消費するかの二通り。自分は前者。ついつい頁を進めすぎて「あれ、この秒針が12になったらあと一分だっけ二分だっけ?」とザル法よりも粗い網目で短期記憶を落っことす前者。……失笑
尖閣の一件。
チャーター機で船長を迎えに来る、と聞いて、これではまるで日本が拉致事件における北朝鮮的な立場だなーと率直に感じた。船長が帰国したら、あちらのニュースでは【日本に拉致されていた船長、英雄として帰還】と報道されるのではないだろうか。
開いた溝は深く、そこに巣食った不信の根は更に深い。
隣の部屋の住人の素性すら興味がない私達が、海を隔てた隣国とそこまでして仲良くなりたいのかどうかは、白紙の状態から一度冷静に考え込んでみるべきだとも思う。
懐中時計に出所の曖昧な憧れを抱くのは何故だろうと考えた時、「時間を閉じ込め、飼い慣らしている」感覚に満足感を覚えるからではないかとの解答が浮かぶ。普段は懐に忍ばせているそれを取り上げ、蓋を開いた瞬間に飼い慣らされていた時間は柵を越えて放牧に飛び出す。蓋を閉めればたちまち舞い戻るそれは、時間の牧畜とでも呼べばいいのかも。
腕時計や携帯電話では、時間との“距離”が近過ぎる。ひと手間ふた手間掛かる程度の距離が、何とも心地良い。
最近観直した【ガンダム00】で、ふと、「…この世紀(三世紀後)でも、一日は24時間で一年は太陽暦基準なんだろうか」とはっとなって疑問が湧いた。調べはしてない(調べよ)。三世紀も経過している割には記者会見の形式が今と大差なかったりファッションセンスの進化が皆無だったりと色々突っ込みたい所が山盛りですが、それはまた別のお話。
近・遠未来において、時間の基準が現代と様変わりしていたとしても、それは別に驚くような事ではないのでしょうね。地上におさらばしてドームやシェルターに完全密封された世界で生きている未来人を想像した時、彼らが太陽や月の振る舞いを基にした時間律に意味を見出さなくなって全く別の――トイレの芳香剤が切れるまでの間隔を一年とする――ルールが採用されていたって不思議じゃあない。既に現代でさえ、“共通語”である24時間265日のルールとは別に、【あのレアアイテムを獲ったら寝よう。起きたら即換金して、復活してまた獲れるようになるまで釣りしてよう】的な“方言”(個々人の時間律)が存在しているのですし。工場なんかで、掲示板の予定生産台数を見て「あと三台造れば休憩だ」と判断するのは方言と共通語のブレンド、ですかね。
そんな、同じ時間の“方言”を持つ者同士は寄り集まる。
必然的に趣味や特技は似通ってくるでしょうが、単純な同好の士とは、ちょっとだけ、微妙に違う。世の中には二通りの人間しかいない――カップラーメンの待ち時間(3分)の間、小説なり漫画なり何かしらを消費するか、ただ時間だけを消費するかの二通り。自分は前者。ついつい頁を進めすぎて「あれ、この秒針が12になったらあと一分だっけ二分だっけ?」とザル法よりも粗い網目で短期記憶を落っことす前者。……失笑
尖閣の一件。
チャーター機で船長を迎えに来る、と聞いて、これではまるで日本が拉致事件における北朝鮮的な立場だなーと率直に感じた。船長が帰国したら、あちらのニュースでは【日本に拉致されていた船長、英雄として帰還】と報道されるのではないだろうか。
開いた溝は深く、そこに巣食った不信の根は更に深い。
隣の部屋の住人の素性すら興味がない私達が、海を隔てた隣国とそこまでして仲良くなりたいのかどうかは、白紙の状態から一度冷静に考え込んでみるべきだとも思う。
正体自明のストレス(おしごと)に追い立てられては追い払いながらあっと言う間に一週間が過ぎて行った。みくしやらついったやらに繋ぐ気も起こらない代わりに手早く時間が廻って行くこの状況を喜ぶべきか悲しむべきか……とりあえず今の仕事にすっぱりと区切りを付けたい気持ちだけは順調に育っているけれど。苦笑。
【食べる人類誌】(フェリペ・フェルナンデス=アルメスト/ハヤカワNF文庫)を、一週間以上掛けて漸く一読した。
食から読み解く人類の食史は、文字通り人類史を食べているような壮大な満腹感に浸れる代物。カニバリズム史に出てくる著名(?)な食人者の通称を見ていると脊髄反射で【され竜】の人々を思い出す――まあ実際最新刊でいたし(モーフィース)――のは無理もない話。冒頭のワーズワースの詩はマクドナルドやKFCの店先に刻み付けておきたい、と真剣に思った。
“コロンブスの交換”からファーストフードという現代病の蔓延に至る流れでは、世界を転戦する食物に【ライトノベル】を重ね合わせた。食物に半歩遅れて、芸術、文学もまたその生態系を各地で交換し合いながら新たな品種を育み続けている。ネットその他による情報の膨張と複層、輻輳があくまで料理の一品目でしかなかったラノベをファーストフード的な軽食へと様変わりさせたのは疑いの余地の少ない所。尤も、そこに革命めいた変異はない。ブギーポップにしても革命者というよりは「何故誰もこの壁を越えないんだい?」と【おとなり】との壁を最初に飛び越えた越境者的なものとして捉えています。SFやら学園やら伝奇やらの“小”ベルリンの壁が取り払われた事で、全部ひっくるめて【ライトノベル】という巨大な微理解の絶壁で囲われてしまったのは、ある意味皮肉な成り行きなのかもしれませんけど。そう名付けられた瞬間、現象は産業へと拘束されてしまったのだろうから。
「カレーは飲み物」と仰った偉人がいた。ならば今や「物語も飲み物」だと素で思う。ファーストフード全般も食べ物というよりは飲み物に近いんじゃないかな……どちらにせよ、その場その場の活力と水分補給にはなっても本格的な栄養にはならない。今後は電子書籍メディアの有力コンテンツとして更なる低価格化と紙媒体からの離脱が進むであろうこの軽食は、最終的にどこに着地するのでしょうね。
……個人的には、【芸術】や【食事】よりも、むしろ【医療】の分野に着地しそうな気がしてならない。数十年後の電子医院でホログラフィックのお医者様が処方箋として提供するレシピの中に、ある特定の“効能”を持ち合わせたサプリメントとして【飲物語/ラノべ】が含まれている近未来を想像してみた。
そんなには違和感は膨れない。
飲み薬としてのサプリメント小説は、とっくの昔に世の中を席巻しているのだから。
それにしても秋山君とガーべラお嬢さんの勢いは止まらないですね。さて、どこまで続くだろう。(分かるのか)(分かる人には)
【食べる人類誌】(フェリペ・フェルナンデス=アルメスト/ハヤカワNF文庫)を、一週間以上掛けて漸く一読した。
食から読み解く人類の食史は、文字通り人類史を食べているような壮大な満腹感に浸れる代物。カニバリズム史に出てくる著名(?)な食人者の通称を見ていると脊髄反射で【され竜】の人々を思い出す――まあ実際最新刊でいたし(モーフィース)――のは無理もない話。冒頭のワーズワースの詩はマクドナルドやKFCの店先に刻み付けておきたい、と真剣に思った。
“コロンブスの交換”からファーストフードという現代病の蔓延に至る流れでは、世界を転戦する食物に【ライトノベル】を重ね合わせた。食物に半歩遅れて、芸術、文学もまたその生態系を各地で交換し合いながら新たな品種を育み続けている。ネットその他による情報の膨張と複層、輻輳があくまで料理の一品目でしかなかったラノベをファーストフード的な軽食へと様変わりさせたのは疑いの余地の少ない所。尤も、そこに革命めいた変異はない。ブギーポップにしても革命者というよりは「何故誰もこの壁を越えないんだい?」と【おとなり】との壁を最初に飛び越えた越境者的なものとして捉えています。SFやら学園やら伝奇やらの“小”ベルリンの壁が取り払われた事で、全部ひっくるめて【ライトノベル】という巨大な微理解の絶壁で囲われてしまったのは、ある意味皮肉な成り行きなのかもしれませんけど。そう名付けられた瞬間、現象は産業へと拘束されてしまったのだろうから。
「カレーは飲み物」と仰った偉人がいた。ならば今や「物語も飲み物」だと素で思う。ファーストフード全般も食べ物というよりは飲み物に近いんじゃないかな……どちらにせよ、その場その場の活力と水分補給にはなっても本格的な栄養にはならない。今後は電子書籍メディアの有力コンテンツとして更なる低価格化と紙媒体からの離脱が進むであろうこの軽食は、最終的にどこに着地するのでしょうね。
……個人的には、【芸術】や【食事】よりも、むしろ【医療】の分野に着地しそうな気がしてならない。数十年後の電子医院でホログラフィックのお医者様が処方箋として提供するレシピの中に、ある特定の“効能”を持ち合わせたサプリメントとして【飲物語/ラノべ】が含まれている近未来を想像してみた。
そんなには違和感は膨れない。
飲み薬としてのサプリメント小説は、とっくの昔に世の中を席巻しているのだから。
それにしても秋山君とガーべラお嬢さんの勢いは止まらないですね。さて、どこまで続くだろう。(分かるのか)(分かる人には)