【 ナイチンゲールの沈黙 】
( 一般書籍・小説 / 海堂尊 / 宝島社 )
一読で心を撃ち抜かれた【チーム・バチスタ】シリーズの、第二弾。”弾”と言う言葉がしっくり来ます。
前作にして代表作の【チーム・バチスタの栄光】と比べるとより重厚で医療現場の内情に踏み込んだ造りになっています。映画化まで到達した前作と比べてエンタメ性が抑えられているのはまあ仕方のない所ではありますが、その分、いえそれを補って余りある位に文章中で登場人物が繰り出す会話・表現のエンタメ性は向上しているように感じました。出るキャラ出るキャラの殆どに仰々しさと華々しさが入り交ざった”通り名/二つ名”が引っ付いているのを見て【戯言シリーズ】を連想してしまうのは、両シリーズを読んだ人間としては至極当然の反応だと思わざるを得ませんね。浅井ラボと西尾維新がタッグを組んで書き上げた、と言ってしまうのが一番分かり易い表現ですが、そう言ってしまうと海堂先生はもはや神棚どころか天上の存在にしか思えなくなる罠。(罠違う)
行灯、将軍、千里眼、トンネル魔人、ハウンドドッグに火喰い鳥。……前言撤回。やっぱり前作よりエンタメ性それ自体が増量、増殖しているとしか思えなくなりました。一部を列挙しただけで何だこの某国の偽キャラ遊園地並みに胡散臭い面々はって思えますし。海堂先生の手に掛かれば生死の境界線上で緊迫する病院も花火とパレードが二十四時間フル稼働するテーマパークに早変わりです。
ハイパーマン・バッカスとシトロン星人の実写化を大真面目に望みます。あ、もち脚本は火喰い鳥こと白鳥。”オレオレ詐欺”攻撃やら”FFK”やらが良い子の眼前で展開された日にはPTAからの総攻撃を食らって流石の火喰い鳥も泡食って火の車ですね!(さわやかなわらい)
それでいて最後があんな展開なんだから、もう、言葉もありません。
この一作で完全に海堂ワールドに引き摺り込まれたんだなァ、と、今更ながら納得。
【 図書館内乱 】
( 一般書籍・小説 / 有川浩 / メディアワークス )
善意と言うものは鏡に映らないものです。自分では確認しようのない意識。
正しい事をしていると一旦思ったが最後、「正しいんだから検証する必要なんてない」と、それが本当に正しいのかどうかを自分自身で再考する事ができなくなりがちです。小牧教官と毬江ちゃんのケースなんてのは、そう言った錯誤のとても分かりやすい事例。それを真正面からぶった切った柴崎の毒舌が全く毒舌に感じられなかったのは――うん、彼女と同様に同族嫌悪の気分なのかも。
【新世相】事件(と便宜上表記します)で取り上げられていた犯罪、もしかすると、もしかしなくても、つい先日最高裁からの差し戻しで新たに死刑判決が下された”あの事件”がモチーフになっているのでしょうね。更に、調書の漏洩もついこの間似たようなケースが世間で騒がれたばかり(この作品が出版された当時はまだこの漏洩疑惑が発生していなかった筈ですが、こう言うのも先見の明、と言うべきなのか)。
閲覧制限云々に関しては、どの選択も【正解、且つ不適当】なのでしょう、きっと。正しいか正しくないかなんて、所詮は見る角度と光の当たり方の違いでしかない訳ですから。だからこそ自分の信じる正しさ、図書隊で言うならば【図書館は誰がために】――奇遇にも次巻の核心ですが――を常に考える事が大切。疑う必要のない真実や正義なんて、実際の所、誰のためにもならない骨董品に過ぎないのですよ。
少なくとも小腹を満たす銭としては役立った、売り払われた骨董品。手塚の時計。
【別冊Ⅱ】辺りで、兄弟の仲直りとして二人で探して買い戻すような展開がありそうな、なさそうな。笑。
【 円環少女 7 夢のように、夜明けのように 】
( ライトノベル / 長谷敏司 / 角川スニーカー文庫 )
核テロ編が三冊続いた後の、まさかの短編(?)集。
スニーカー誌に短期集中連載されていた作品に合間合間を加筆した体裁になっていますが、話自体は六巻(【太陽がくだけるとき】)から続いています。とは言え、中身はまさか、まさかまさかのギャグ風味。何と言うか……済みません正直シリアス物しか書かないと思ってました意表と言うより秘孔を突かれてひでぶって感じでみくびっていました済みませんったら済みません(では到底済まされない)長谷先生。そりゃ思わず文章が乱れてしまうのも仕方がない青天の霹靂。笑。
まあ、考えてもみれば魔法使い達はほぼ全員が全員自分の魔法世界、大系の常識を引き摺ったままこの【地獄】で過ごしている非常識人なので、こう言った感じの”ずれ”が生じるのも当たり前なのでしょうけど。すれ違いではなく”ずれ違い”――セラと寒川の会話がいい例ですね。不条理とはまた違う、条理に忠実がゆえのイレギュラー。
しりとりまでもが、魔法大系として成り立つ【円環少女】世界。
その内、某バラエティ番組の【色とり忍者】みたいなキワモノも出てきそうな気が(してはならない)
>> 2008.6.30(月)/22:45
真説こと、
【され竜】ガガガ新装版、一巻、二巻両方を読みました。
近い内に書評で語ろうと思っているのでここでは荒めの感想で行きますが、某さんの仰っていた通り、一巻の方は加筆量が尋常でない膨らみっぷり。脚本の根本部分が弄られている(主に指輪部分)ので、色々とシーン変更せざるを得なくなった部分はあるとしても、旧ヴァージョン(スニーカー版)と比べて百頁前後の増量とは恐れ入りました。
で、まあ当然ながら台詞回しの部分も色々と修正されている訳ですが――個人的には修正前の表現の方が好きだったなあと思える箇所の方が修正後(以下略)よりも多かったような気がします。後、別に削らなくても良かった……と言うより削るべきではなかった箇所が削られていたのは、ちょっと不思議。ニドヴォルクとの初遭遇の際の【互いの名前を呼ぶのを止めて(スニ版)】表現がガガガ版では削られていたのは、何故だろう。削る必要がある表現だとは思えない。削っては絶対に駄目、と言うレベルの表現でもないので、まあそれ以上の思いはないのですけどね。
全体的に、読む人の側に”少しだけ”近付いた感覚はあります。皮肉が減量して骨格が増強された、そんな感じ。少しだけ親切になった、と書くとあまりにも底の浅い感想ですが、実際そうなのだから避けようのない一文。笑。
ラキ兄弟もそうですが、きゅらさん(注:キュラさん)(同じだ)ことキュラソーの出番がほんのり増やされていたのには満足。ガガガ版ではスニーカー版よりも何だか不幸属性が増していそうで更に倍(何)。仕事に粉骨砕身し過ぎて婚期を逃しそうなされ竜キャラ第一位の栄誉を独断で与える事にたった今決定(させるか!)――と言うか彼女、され竜世界の中で唯一と言ってもいい常識キャラなのでどうか大事に運用してあげて下さい、ラボさん。あッ、それとベイリック警部補もそのついでに。(酷)
さて、
新作長編が八月に刊行されるそうですが――そうなるとアナピヤ編(と呼んでいいのか、どうか)の二冊の扱いはどうなるのでしょう。それ以前にその新作は、アナピヤ編の後なのか、それともアナピヤ編自体を”なかったこと”にしてガガガ版二巻に直結する完全な真説用展開になるのか。
著者がラボさんなだけに後者の可能性も捨て切れず、大いに心配です。かと言ってアナピヤ編を加筆修正で読みたいかと問われると何とも答え難いのですけれど。(修正……に、なる?)
ウォークマンは、週末からずっと【ワールドワールドワールド】ヘビロテ状態。
贔屓として頭一つ抜けているのが【惑星】で、その後に【ナイトダイビング】、【No.9】辺りが続いていますが、もうどっぷりと浸かり込んでいます。夜から朝へ、と言うよりも夜と朝が二重螺旋のように絡まり合ったこの雰囲気は、きっと彼等にしか作り出せない専売特許の幻想感だなァ、と思わずにはいられない。
【 レンズと悪魔 Ⅶ 魔神決壊 】
( ライトノベル / 六塚光 / 角川スニーカー文庫 )
短編集、と言うよりは中編集と呼んだ方が適切っぽい一冊。
(何処まで続くか)と思っていたシリーズも七冊目を迎え、何と言うかそれっぽい風格と余裕が全般に漂う雰囲気になってきているのがちょっとだけクスクス笑いを誘います(何)。ブレ幅が小さくなってきて安定してきた反面、いざと言う時の爆発力、瞬発力が削がれてしまわないかどうかが心配の種でもあるのですけど。小さくまとまるよりも大きく弾けるべき。特にこのような酔拳じみた変則フォームの物語は。
コーマックとバーミッサのアードレー・ツインズは、今後の物語(本編)にも顔を出しそうな気がしますねえ。結晶連鎖法そのものの成り立ちと真正面からの打開策は明かされないままですし、父親との因縁も伏線として残されたっぽい感じなので。次に登場する時は流れの象シャツ売りとしてブルティエールに現れれば良いと思います。……意外に自分の好みなんだろうか、この二人。
それと、
【水面からザババーッと】の件でのテッキの反論は色々な意味で間違っていると思わずにはいられない今日この頃。普通、風邪を引いて死ぬ危険性よりも乙女としてそれはどうなのよ的な羞恥心の方が優先されそうな気がするのですが。……ボケ担当? しかし、そこに「論点そこかよ!」と突っ込まないエルバも十分ご立派なボケ担当。この二人、某笑い飯にも負けないWボケのお笑いユニットを組めそうな気がしてきます――ハリセン要らず。(万力は)(立派な)(凶器です)
何と言う事でしょう。
この物語には純粋なツッコミ役がいない。(どうでもいい)