創作サイト【文燈】の雑記、一次、二次創作書き散らし用ブログ。
休止解除しました。創作関連はサイトでの更新に戻るので今後は雑記、返信等が中心となるでしょう。更新が鈍い場合はツイッター(http://twitter.jp/gohto_furi)に潜伏している可能性が、大。
オバマさんの圧勝劇のみならず、これだけ色々な物事に【●●劇】と付くと、劇的でないものを探す方が難しそうな気がします。で、真に劇的でないものは劇でしか表現出来なくなると言う矛盾に陥るのでしょう。今メディアで取り上げられられている【自分達で育てた豚を自分達で食べるべきか否か】を描いた映画なんて、本来なら日常のど真ん中に鎮座している当たり前過ぎる現実ですからね。答えが何なのかを考えるのではなく【何かを選択する】と言う意味を考える。一切の劇的な要素を排除して初めて現実の生々しさが浮き彫りになるのは当たり前と言えば当たり前ですが、それが劇(映画)として成立してしまうのが現代なんですかね。その意味では何もかもが丸ごと劇的な時代とも言えます。(が、癒えません)
勝利宣言の演説を聞いていて、英語が演説向きなのか日本語が演説向きなのかが分からなくなりました。平仮名カタカナ、漢字に横文字アルファベット。言葉の選択肢が多いのは書き言葉としては強みですが語りの面では器用貧乏になってしまうのかも。多分、きっとそう。(語る人間の質の問題だとは…思いたくない)
プレステ関連は相変わらず手付かずな一方で、【世界樹の迷宮2】をちまちま粘っこくプレイ中です。
この系統のゲームは大概は好みで今回も上質なのです、が、キャラのグラフィックを表示するか否かをプレイヤが選択出来たらもっと嵌る気もしますね…グラフィックの種類が少ないと却って新キャラ作成意欲が減退する事を改めて思い知りました。苦笑。せめて色違いで数パターンあれば、ねえ。
選択肢があると言う事は、【それ以上は選択の幅を与えない】と言う事です。
それと【.hack//G.U.】小説版を読み始めましたが、先に【CELL】を読んでいたのでハセヲの言動に隠し切れない違和感が。書き手の違いと言えばそれまでですが(むしろ挿絵の質感の違い、かも)。で、こっちもこっちで同じグラフィック(色違い)に悩まされてる事に今気付いた。
やはりゲーム版もやりたい。(が、手間が足りない)
勝利宣言の演説を聞いていて、英語が演説向きなのか日本語が演説向きなのかが分からなくなりました。平仮名カタカナ、漢字に横文字アルファベット。言葉の選択肢が多いのは書き言葉としては強みですが語りの面では器用貧乏になってしまうのかも。多分、きっとそう。(語る人間の質の問題だとは…思いたくない)
プレステ関連は相変わらず手付かずな一方で、【世界樹の迷宮2】をちまちま粘っこくプレイ中です。
この系統のゲームは大概は好みで今回も上質なのです、が、キャラのグラフィックを表示するか否かをプレイヤが選択出来たらもっと嵌る気もしますね…グラフィックの種類が少ないと却って新キャラ作成意欲が減退する事を改めて思い知りました。苦笑。せめて色違いで数パターンあれば、ねえ。
選択肢があると言う事は、【それ以上は選択の幅を与えない】と言う事です。
それと【.hack//G.U.】小説版を読み始めましたが、先に【CELL】を読んでいたのでハセヲの言動に隠し切れない違和感が。書き手の違いと言えばそれまでですが(むしろ挿絵の質感の違い、かも)。で、こっちもこっちで同じグラフィック(色違い)に悩まされてる事に今気付いた。
やはりゲーム版もやりたい。(が、手間が足りない)
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対象品に好みのものが少なくてある程度は対岸の火事だった食品の薬物問題がカップ麺にまで飛び火してきて、不安が今頃になって湧いて出ています(遅)。人為的ミスか工程的ミスか悪意の混入なのかは兎も角、これが棚から消えるのは避けてほしいもの。
品名と企業名だけが日替わりで移り変わる一連の報道を見ていると、あの【だるまさんが転んだ】遊びを連想してしまいます。木の幹に顔を寄せ目を瞑ってお決まりの呪文を唱える子供を【基準値】に見立てたら、彼にじわじわと近寄ってくるその他の子達は言うまでもなく諸企業。基準値ぎりぎりまでどれだけ近付けるかを競い合うそれは勿論、遊びなんかじゃない真剣勝負なのでしょうけど。漠然とした感覚ですが、【ライン(限界)を超える】事よりも【ラインに限りなく近付く】事が、科学に限らずあらゆる分野での共通の行動規範になっているような気もします。望遠鏡の彼方よりも顕微鏡の片隅にみんなの見たい聞きたい知りたい事が転がっている、そんな時代。
ただ、遊びでは誰かが【基準値】にタッチしたらそこで一段落してまた最初から、となりますが実際は目を瞑ったまま振り返らない“彼”の横を素通りして行く訳で。何かに到達する事が目標にならない、なれない環境では何もかもが落ち着く場所、落とし所を見付けられないのかも知れません。いや…知ってるけどどうにもならないの、かも。
それはそうと、
この【だるまさんが転んだ】のだるまさんは、目を瞑ってる子なのか近付いてくる子達なのか、どちらなんでしょうね。後者もしくは両者の場合、無言のだるまが集団で迫ってくる様子はかなりシュールな光景で発案者は何考えてたんだと思いますがいやそれ単なる適当な語呂合わせで特に意味無いから、と言われそうな気もするので寝て忘れる事にします。(なら言うな)
尤も、消費者はだるまさんのように無言を貫く事はせず積極的に苦言を呈すべきなんでしょうが。苦笑。
と、だるまに関して語り過ぎました。(全くだ)
本来の話題は【ジオブリーダーズ(14巻)】と【され竜】と【死よりも悪い運命(これは途中)】を続けて読むと社会とか人生とかに関してあれでそれな気分になるので是非別々に読みましょう、と言う話だったのですけどねー。本題はいつも尾鰭の先っちょに引っ掛かってるものです。そんな雑記。(そんな開き直り)
話題は次回の雑記に先延ばし、と言う事で。
■今日の(本物の)尾鰭
>【世界樹2】始めました(題名で言っておけばそれで済んだよね、なんて事実は目を瞑って見逃す)
品名と企業名だけが日替わりで移り変わる一連の報道を見ていると、あの【だるまさんが転んだ】遊びを連想してしまいます。木の幹に顔を寄せ目を瞑ってお決まりの呪文を唱える子供を【基準値】に見立てたら、彼にじわじわと近寄ってくるその他の子達は言うまでもなく諸企業。基準値ぎりぎりまでどれだけ近付けるかを競い合うそれは勿論、遊びなんかじゃない真剣勝負なのでしょうけど。漠然とした感覚ですが、【ライン(限界)を超える】事よりも【ラインに限りなく近付く】事が、科学に限らずあらゆる分野での共通の行動規範になっているような気もします。望遠鏡の彼方よりも顕微鏡の片隅にみんなの見たい聞きたい知りたい事が転がっている、そんな時代。
ただ、遊びでは誰かが【基準値】にタッチしたらそこで一段落してまた最初から、となりますが実際は目を瞑ったまま振り返らない“彼”の横を素通りして行く訳で。何かに到達する事が目標にならない、なれない環境では何もかもが落ち着く場所、落とし所を見付けられないのかも知れません。いや…知ってるけどどうにもならないの、かも。
それはそうと、
この【だるまさんが転んだ】のだるまさんは、目を瞑ってる子なのか近付いてくる子達なのか、どちらなんでしょうね。後者もしくは両者の場合、無言のだるまが集団で迫ってくる様子はかなりシュールな光景で発案者は何考えてたんだと思いますがいやそれ単なる適当な語呂合わせで特に意味無いから、と言われそうな気もするので寝て忘れる事にします。(なら言うな)
尤も、消費者はだるまさんのように無言を貫く事はせず積極的に苦言を呈すべきなんでしょうが。苦笑。
と、だるまに関して語り過ぎました。(全くだ)
本来の話題は【ジオブリーダーズ(14巻)】と【され竜】と【死よりも悪い運命(これは途中)】を続けて読むと社会とか人生とかに関してあれでそれな気分になるので是非別々に読みましょう、と言う話だったのですけどねー。本題はいつも尾鰭の先っちょに引っ掛かってるものです。そんな雑記。(そんな開き直り)
話題は次回の雑記に先延ばし、と言う事で。
■今日の(本物の)尾鰭
>【世界樹2】始めました(題名で言っておけばそれで済んだよね、なんて事実は目を瞑って見逃す)
【され竜】新作長編(上下)を読み終えて、素でそう思った。分量と言い中身と言い鬼の所業としか言えない。一作目の厚さ(約450ページ)がごくごく標準的な仕様に見えるこのマジックは現代の黒魔術だと思わずにはいられませんでしたとも。そして懸念通り例の一件(アから始まる例の一件)は黒歴史化されていたと言う現実をどう受け止めるべきか。
同じ日にヴォネガットの【死よりも悪い運命】を入手できたのは、幸運と言うかむしろ必然のように思えますね。連結リストでもここまで空気を読み切った綺麗な配列にはならないと思う、絶対。まあ、何年も探していた同氏の【母なる夜】を一緒に発見したのは紛れもなく幸運なのですけど。苦笑。
バチスタの白鳥役は阿部サダヲにやって貰いたかったなァ、と、配役面のもやもや感に関しては結論付けました(聞いてない)。鳴海の件は、ま、その、…死よりも(以下略)として(片付けるな)
どうせなら、ナイチンゲールやジェネラル・ルージュも話に絡めて欲しいですけどね。酸いも甘いもひっくるめて、小説版とは切り離して見続けて行くつもり。
同じ日にヴォネガットの【死よりも悪い運命】を入手できたのは、幸運と言うかむしろ必然のように思えますね。連結リストでもここまで空気を読み切った綺麗な配列にはならないと思う、絶対。まあ、何年も探していた同氏の【母なる夜】を一緒に発見したのは紛れもなく幸運なのですけど。苦笑。
バチスタの白鳥役は阿部サダヲにやって貰いたかったなァ、と、配役面のもやもや感に関しては結論付けました(聞いてない)。鳴海の件は、ま、その、…死よりも(以下略)として(片付けるな)
どうせなら、ナイチンゲールやジェネラル・ルージュも話に絡めて欲しいですけどね。酸いも甘いもひっくるめて、小説版とは切り離して見続けて行くつもり。
しかも驚きの半月。(何が)
これまでの人生の中で最高のペースでノートを消費しています。サイトを始める前にノート二冊強(文庫200P程度)のオリジナルを書いていたのを思い出しましたが、あれ以上か…因みにその長編オリジはサイトには欠片も出してません。読み返すと創作活動の成長と樹海を同時に味わえます。あの頃は色々な意味で清廉だったみたいです、自分(遠すぎる目)。
今の自分が書き直したらどうなるか、と考える余力が無いのは多分良い事です。笑。
【チーム・バチスタの栄光】ドラマを半分だけ観て(前半観忘れた)、田口と白鳥の配役は逆にすべきだったと少々がっかり。頭文字Gな白鳥の暴れ振りは、背のちっこい人の方がイメージに合うのですけどねえ。
それとは別に、鳴海の配役にも喉に小骨的な違和感も感じたりしてます。犯人は謎のままでいいから彼の抜擢理由を教えて欲しいな、本当。
たんさん君(と書くとゆるキャラっぽ)(くもない)な彼がまだ姿を見せないのがほんのり不安なOO二期。
彼だけアローズにお呼びが掛かっていなかったのなら残念と安心と納得で心が落ち着くのですが。笑。
これまでの人生の中で最高のペースでノートを消費しています。サイトを始める前にノート二冊強(文庫200P程度)のオリジナルを書いていたのを思い出しましたが、あれ以上か…因みにその長編オリジはサイトには欠片も出してません。読み返すと創作活動の成長と樹海を同時に味わえます。あの頃は色々な意味で清廉だったみたいです、自分(遠すぎる目)。
今の自分が書き直したらどうなるか、と考える余力が無いのは多分良い事です。笑。
【チーム・バチスタの栄光】ドラマを半分だけ観て(前半観忘れた)、田口と白鳥の配役は逆にすべきだったと少々がっかり。頭文字Gな白鳥の暴れ振りは、背のちっこい人の方がイメージに合うのですけどねえ。
それとは別に、鳴海の配役にも喉に小骨的な違和感も感じたりしてます。犯人は謎のままでいいから彼の抜擢理由を教えて欲しいな、本当。
たんさん君(と書くとゆるキャラっぽ)(くもない)な彼がまだ姿を見せないのがほんのり不安なOO二期。
彼だけアローズにお呼びが掛かっていなかったのなら残念と安心と納得で心が落ち着くのですが。笑。
「性格が丸い人はむしろ転がりっ放しで落ち着きに欠けるのではないですか?」
こんな感じで、たまに言葉の切れ端を載っけて行こうかと。
趣味と言うよりも単なる癖のようなものですが、物を見る(読む)時に無意識的に【逆から見る・読む】傾向があります。特にここ数年はそれが顕著になってきたような気も。
読む分野であれば、画面に映った単語を逆読みしたり小説を最後のページから最初の方へ遡って行ったりします。絵と違って(絵の場合、反転させるとバランスが崩れたりして分かり易いですよね)小説は基本的に一方通行なので逆読み自体がナンセンスかも知れませんが、何故かこんな癖が染み付いているこの不思議。ただ、この読み方で何の違和感も覚えなければ完成度と整合性の高い物語、だと断定できない理由は当て嵌る小説の中に【され竜】や【円環少女】が名を連ねているせいなのですが。
この二作品の場合は完成度や整合性の問題と言うより、単に物語自体が泥沼に始まり袋小路で以下次回な展開だから逆から辿っても違和感が無いのだろうな、と(気付かなくていいのに)気付きました。某さんが仰っていたように、それぞれ違う意味で絶望的な筋書きですが。され竜の場合は終点が全く見えない霧の中、って感じで、円環の場合は【あと五十年1日12時間働けば借金完済です】と言うような感じ(どんな?)。…され竜ガガガ版、無事に新刊は出るんでしょうかね(切実)。
物理学賞を独占と言うのは素直に喜ぶべき事、ですね。
物理学と言うと今は当然【ガリレオ】が連想される(ただドラマは全く観てない)訳ですが、個人的には森先生(森博嗣)の【すべてがFになる】こそ映像で観てみたいもの。ノーベル物理文学賞があったなら、この方はとっくの昔に穫ってるでしょうよ。
ドラマは普段は殆ど観ないですが、【チーム・バチスタの栄光】は非常に楽しみ。原作とは異なる結末はどうでもいいですが、白鳥の台詞がどれだけ放送コードに立ち向かえるかが今秋一番の見所かと。笑。
こんな感じで、たまに言葉の切れ端を載っけて行こうかと。
趣味と言うよりも単なる癖のようなものですが、物を見る(読む)時に無意識的に【逆から見る・読む】傾向があります。特にここ数年はそれが顕著になってきたような気も。
読む分野であれば、画面に映った単語を逆読みしたり小説を最後のページから最初の方へ遡って行ったりします。絵と違って(絵の場合、反転させるとバランスが崩れたりして分かり易いですよね)小説は基本的に一方通行なので逆読み自体がナンセンスかも知れませんが、何故かこんな癖が染み付いているこの不思議。ただ、この読み方で何の違和感も覚えなければ完成度と整合性の高い物語、だと断定できない理由は当て嵌る小説の中に【され竜】や【円環少女】が名を連ねているせいなのですが。
この二作品の場合は完成度や整合性の問題と言うより、単に物語自体が泥沼に始まり袋小路で以下次回な展開だから逆から辿っても違和感が無いのだろうな、と(気付かなくていいのに)気付きました。某さんが仰っていたように、それぞれ違う意味で絶望的な筋書きですが。され竜の場合は終点が全く見えない霧の中、って感じで、円環の場合は【あと五十年1日12時間働けば借金完済です】と言うような感じ(どんな?)。…され竜ガガガ版、無事に新刊は出るんでしょうかね(切実)。
物理学賞を独占と言うのは素直に喜ぶべき事、ですね。
物理学と言うと今は当然【ガリレオ】が連想される(ただドラマは全く観てない)訳ですが、個人的には森先生(森博嗣)の【すべてがFになる】こそ映像で観てみたいもの。ノーベル物理文学賞があったなら、この方はとっくの昔に穫ってるでしょうよ。
ドラマは普段は殆ど観ないですが、【チーム・バチスタの栄光】は非常に楽しみ。原作とは異なる結末はどうでもいいですが、白鳥の台詞がどれだけ放送コードに立ち向かえるかが今秋一番の見所かと。笑。