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創作サイト【文燈】の雑記、一次、二次創作書き散らし用ブログ。 休止解除しました。創作関連はサイトでの更新に戻るので今後は雑記、返信等が中心となるでしょう。更新が鈍い場合はツイッター(http://twitter.jp/gohto_furi)に潜伏している可能性が、大。
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 昨日、深夜のNHKにチャンネルを合わせたら、妙な番組をやっていた。
 野菜がクイズをやっている……何だコレ、と思いながら観続けて段々面白くなった(と言うかツボに圧し掛かってきた)ので途中から録画。一言で言うなら「サラリーマンNEOが更に血迷った!」としか言えない。日本放送協会は時々、冴えたセンスが固まりに固まって金平糖並みにがっちがちに凝固した代物を暴投する――本当に。某野球青春連ドラのパクリネタ(じゃなきゃ嘘だ)を観ていて自分の創作手法と異様に被るものを感じて笑い袋の緒が膨らんだのは公然の秘密。あれ酷い!(激笑)
 どうやらレギュラー番組を目指している試験的番組みたいですが、これは毎週レギュラーでやるような代物じゃないですね。月イチ程度のペースなら、NHK深夜帯の爆弾兼アキレス腱になれるかも。
 【アルクメデス】って名前のクイズ(?)番組です。一応、名前覚えておこう。

 懲役15年が重いか軽いかは兎も角、
 今後、裁判員制度の下で着々と【判決実績】が積み重なっていったら、最終的にはその市民感覚が染み付いた“新しい前例”に裁判員もまた縛られて行くのかもしれませんね。量刑データベースに市民感覚の神サマは宿るんだろうか。それとも、データベースの結果から逆に裁判員の市民感覚が塗り替えられてしまうのか。嫌なオセロゲームになりそう。
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 原爆の記念式典は生中継で観ました。
 秋葉市長の演説に関しては色々な意見があるみたいですが、観ていた限り当人は冗談ではなく真剣にあれらの言葉(オバマジョリティー、Yes,we can)を使っていたようには思えた。
 オバマ大統領のプラハ宣言にケチを付ける気はないけれど、政治家ならば何より必要なのは【核廃絶しますよ宣言】ではなく【核廃絶完了宣言】だと自分自身で分かっていると思います。まず自国で保有している核兵器の何割か、何%かでも廃棄した上で宣言を出せばもっと信憑性は増したのでしょうけどね。どちらにせよ、最初の数百発よりも、最後の一発を廃棄する事の方が遥かに難しい。
 64年前とは核兵器そのものの位置付け、意味合いもかなり変化しています。
 兵器としての核から抑止力としての核、そして今では、北の某国が積極的に推進している【果実】としての核も造られている訳で。造ろうとするのを止める事で、造ったものを捨てようとする事で莫大な援助や国交正常化等を引き出そうとして……現実に引き出せそうな局面を創りつつある現状を見れば、辞書に載っている【核兵器】の意味に「果実。造ろうとするだけ、持っているだけ、捨てようとするだけで他国から様々な援助や協力を引き出せる悪魔の実」を加えても何の問題も無いようにさえ思えます。そしていつか、この果実が核兵器の意味の先頭に躍り出るかもしれない。
 少なくとも秋葉市長の演説では、兵器や抑止力以外の核の恐ろしさを訴えている様子は感じ取れなかった。造った当時は多少なりとも“何処かに落とす”可能性とその代償(自分でそれを償うかどうかは別として)も覚悟していたであろう米露等の国よりも、初めから何処かに落とすつもりなんてなく(もしそうなら開発を中止したりしない筈)ただ相手から援助や協力を引き出すためだけの外交カードとして振り回し続けている国の方が、より広島や長崎で亡くなった方々の御霊を冒涜しているように感じられますよ。
 そして、
 このような特別な日に各地の小学校などで平和教育が行われていると想像すると、このままでは決して心に平和は根付かないだろうなとの冷めた見方が降りてくる。戦争反対を、平和を本当に訴えたいのなら特別な日に特別な時間を設けて学習するスタイルを根本から改めるべきだと思いますよ。毎年毎年、決まった季節に決まった内容を学習し続ける……受験勉強と同じ仕組み。その日が過ぎたら脳味噌の引き出しにあっと言う間に引き篭もって次の機会まで出てきません。特定の時期とキーワードにのみ反応する【イベントフラグ】的なシステムに押し込めていい内容ではないでしょうに、ね。
 誕生日の次の日から、来年の誕生日の事を毎日毎日考え続けられるような人間が世の中に一体どれだけいるのかを想像してみればいいと思う。平和を考える事と亡くなった人達を慰霊する事、それらを常にワンセットで考える必要はないのでは? 全ての二人三脚が成功する訳ではありません。

 ヒロシマ、ナガサキにとっての【勝利】は、一体どんな未来なんだろうか。
 世界中の全ての人がこの二つの地での悲劇を知り心に刻み込んだとして、それは勝利条件となり得るのだろうか。それだけで条件が満たされるのであれば、今までの訴え方でも何の問題もありません。尤も、平和運動に携わってらっしゃる方々にこの質問をぶつけてみたら、まず間違いなくそれ以外の、もっともっと究極的な勝利条件を提示されるのでしょうけど。

 クリントン元大統領には、三沢で給油したタイミングで機を降りて、その足で広島の式典に参加して貰いたかったですね。
 人道的措置などと言いながら【クリントンが来るなら捕まえた二人を特赦で解放する】との条件(本当だと仮定)を呑んで足を運んだならば、あの二人の人権ってその問題の中でどう扱われていたのか。人道的措置ではあっても人権的措置ではないですね……この前例が後々、「米は元大統領が直々に頭を下げに来たんだからお前達も元首相経験者を寄越せ」と、拉致問題に影響しなければ良いのですが。
 公約数だけ社会に出張り過ぎだとひがんでいる。(何)
 もしこの二つがオードリーならば、若林がどちらかは言うまでもないですね?

 裁判員裁判の経過を見ていて、遺族からも求刑がされている点にはちょっと驚いた。あれは検察側の求刑と同列に並ぶ正式な求刑なのか、遺族としての率直な心情を検察の求刑と一緒に並べただけのものなのか、どっちなんだろうか。つまり評議の場では検察側の求刑と弁護側の意見、更に遺族の求刑の全てを勘案して量刑を決めないといけない訳ですね。
 変数が増えたからと言って必ずしもより精細な解が導き出されるとは言い切れないのが、世の中。20年(遺族)と16年(検察)の中間を……的な思考が評議の場で論議の上に被さらない事を祈りたいものです。点が二つ画面上に現れたら、特にルールが示されなくとも無意識にその二点を直線で結んでしまいたくなりますから(自分だけかもしれないけれど)。数が増えればそれだけで最大公約数の平均値は低下しますし。
 評議がもし明日まで続いたとして、
 明日になって評議に参加している裁判員の人が体調不良等で休んだ場合、どうなるんだろうか。補充裁判員の人はいるから人数の心配はいいとして、休んだ人の意見を補充された人は受け継ぐ?(占有承継的な)……ま、そんな筈もないし、そうなると一から評議をやり直したりするんでしょうかね。
 裁判員の経験をした人が、その経験を小説(勿論、実名や事件の中身は改変)として出版する事は規則に引っ掛かるのかどうなのかにも興味があります。
 明日の量刑、どうなるだろう。
 たくさんの市民感覚を集めるのなら、最大公約数よりは最小公倍数を期待したいですけどね。みんなが納得する想定内の着地点よりは、みんなが考えもしなかったより精緻な事件解析を、期待したい。

 上記とは別の事件報道で、【にくしみ】は【肉染み】と言い換えてもいいと思ってしまった。
 愛が素肌に貼られたシールだとしたら、それが剥がされた跡にべったり残っている痕跡が憎しみのように思える。ちょっとやそっとの水洗いじゃ、それは落とせない。

 冷蔵庫で納豆の隣にアルファベットチョコの袋を置いていたら、チョコを口の中に含んだ時に口内に納豆のにほひがふんわり広がった。ちょ、何と言う浸透力……!(笑)
 そしてアルファベットチョコのアルファベットを全く確認せずに食い散らかす自分、ちょい外道。(もっと)
 で、
 【あれッ、いつの間に自分魂売ったっけ?】と思わずにはいられない事が起こった。二度。
 ……そうでないのなら魂をこれから売却すべきですね。価額が足りないかもしれない。笑。
 一週間遅れの【笑点】の演芸に出ていたパントマイムの人の芸に、ぐぐっと見入った。
 ロボット的な直線直角志向の動きなら見慣れているけど、操り人形の動きは個人的にかなり新鮮。自然な不自然さを肉体で表現できるのはお見事の一語に尽きる……子供三人養えるのも頷けます。あのチャーリーなら一家に、とは言わず一族に、とは言わず一国に一体は欲しい逸品ですね。(後退)
 世間に蔓延っている各業界の操り人形(別に官僚に操られてる政治家だとは言ってない)も、あの位自然な不自然さを制御しながら活動すれば逆に官僚を“操り返せる”のだろうに。“いちいち逆らいながら動いている”と操る側が感じている限り、操られている側はある程度以上の反逆は決して出来ませんからねえ。西尾維新の【クビツリハイスクール】での人類最強みたいな至芸を求めている訳じゃあないけれど、人形呼ばわりされている方々にはもう少し上手な“フリ”を覚えて貰いたいものです。
 ……そう言えば、人類最強とハル(デビサバ)は色々な共通項を持ち合わせてる。
 哀川潤なら、地声で悪魔の一個師団や二個師団は余裕で呼び出せそうだ。(声帯模写もできるし)

 デビサバはアツロウルートをクリアして二周目に入ってます。流石にサクサク進むー。
 EDでの【その後】はそのまんま【真・女神転生Ⅳ】に出来そうなシナリオですね。見てみたい。
 いいのかその愛称。(良くなッ)

 テスタマッタ(伊語)の語源が【クリエイティブな意味合いでクレイジー】だと知った。
 同名の高級ワインもあるらしいですね……ワインに限らず酒類への造詣は水溜り並みの浅さであまり手を出さない性質ですが、語源を知って俄然飲みたくなってきた。村山さんのみならず、角居さんや矢作さんにもぴったしきっかり当て嵌まるなーこの語源。その名前を貰った“当人(?)”も、語源の期待を裏切らない切れ者だし。

 デビサバ、アツロウルートで最終戦の手前まで進みました。
 ベル・ベリトって聞いた時に【バールベリト】を思い出した人は正統なメガテニストで、語尾が常時混乱している十二翼将の双子の片割れが脳裏をニョニョっと量子的透過した人は残念な事にお仲間です。笑。
 アトラスは世界一東京に優しくないゲームメーカーだとギネス認定して貰っていい、と大真面目に思う。東京都へ与えた損害の総額はあの両津勘吉といい勝負ですよ。や……両さんの方がちょっとだけ多いか。
 わりとどうでもいいですがあのドラマ版はとくにみるきはありません。

 裁判員制度が初適用された裁判が始まりましたね。
 一連の報道と各局の焦点を見てみて思うのは、「この裁判の被告は【市民感覚】の方なんじゃないか」に尽きる。元々思っていた事の再確認に過ぎない、とも言えますが。
 自分で裁くのは気が進まないしその資格があるとも思えない、と考える人がいる(結構いるでしょう)として、その人自身が【裁くに相応しい存在】だと考えるのは一体全体どのようなイメージなのかが結構気になります。絶対的な一神が“おわさない”多神教のこの国で司法権が裁判所から一般市民へと拡散して行くこの試みが完全に浸透した時、極端な話、以前よりも一神教的な宗教への耐性は格段に増していたりもするのかも。
 人が人を裁く事に抵抗がなくなって行くのは、穿った見方をすれば、【自分の意思を徹底的に薄め、自分ではない一神的な存在(神様とも言い、世間の空気とも言う)の代理人として裁いている】認識が自然なものになって行くのと同じではないかと思ったり……思わなくもなかったり。
 制度それ自体は、最初の数十例が最初で最後の山場でしょう。
 市民感覚が司法の永久凍土を溶かすのか、市民感覚が司法の正当性のアリバイとして吸収合併されるのか。それが明らかになる頃には、メディアの関心はこの問題から軸足も視線も移しているのでしょうけれど。
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