創作サイト【文燈】の雑記、一次、二次創作書き散らし用ブログ。
休止解除しました。創作関連はサイトでの更新に戻るので今後は雑記、返信等が中心となるでしょう。更新が鈍い場合はツイッター(http://twitter.jp/gohto_furi)に潜伏している可能性が、大。
「ヒットラーとマザー・テレサの二人が、ある事故を目撃したそうです。
目撃者はこの二人だけ。
ヒットラーは「この事故で一人死んだ」と言い、マザー・テレサは「この事故で百人が亡くなりました」と言いました。事故の生存者からの情報はありません。事故に関する情報はこの二人の証言のみです。
その二人の証言を、全く別の場所にいる百人に聞いてもらいました(当然事故の詳細は一切知らない)。この二人の証言のうち、片方が嘘で、もう片方は本当。そしてそのどちらの証言を信用するかを百人に尋ねました。
ヒットラーとマザー・テレサは、自分の証言を信用してくれた人数分だけお金をもらえます。一人一万円。三十人に信用してもらえたら三十万。証言が本当でも嘘でも関係なく必ずもらえます。
一方、回答した百人は、自分が信用した方が正解だった時には一万円もらえますが、嘘だった場合には一万円取られます。」
――そういう【ゲーム】(?)が存在すると仮定してみる。
仮に、百人の信用結果がヒットラーが三人、マザー・テレサが九十七人、そして本当の証言はヒットラーの方だった場合。
ヒットラーが「私は本当の事を言ったのにどうしてこんなに信用者が少ないのだ!(もっと多くの信用=お金が得られていい筈だ)」と不満を述べた。それに対しては『そりゃ貴方があんな戦争を引き起こし民族浄化とかを推進したから信用されないんだ、自業自得だ』と言う事ができる。彼が信用されなかったのは彼自身に問題があったから、と言える。
その一方で、
マザー・テレサを信用して結果的に一万円没収された九十七人が、「だってあのヒットラーが本当の事を言う筈ないだろう、こんなのインチキだ!」と不満を訴えた場合。それに対しては『ヒットラーとマザー・テレサでは確かに信頼度や尊敬の度合は違う。が、それと、今回のゲームにおける証言の真偽は何も関係していない。信用したのはあくまでも貴方がたの判断であり、それによって生じた損害は自己責任だ』と言う事ができる――ようにも思える。
震災後の様々な意見の“うねり”をツイッターやら報道やらで見ていて、ふと、上記のような設定を思い付きました。
ヒットラーやマザー・テレサを【発信側】、百人の回答者を【受信側】と書き直してみると、なんとなくこの設定で言おうとしている事は見えてくるのではないかなー、と思ったり。
あくまでも私見だけれど、【信用されなかった結果の不利益】と【信用しなかった結果の不利益】の責任の帰着点は違うのだと感じる。〈デマ〉や〈御用〉というラベルが雪合戦のように投げ合われる現状では、より、その二種類の不利益をしっかり分けて考えなければならないように思えるのでした。
――――震災で亡くなられた方々に哀悼を、
今も苦しみ、しかしその足でしっかり現実の上に立ち続けている方々に敬意を。
でもそれだけでは(自分は)駄目だと、当然、分かってはいる。分かっているつもりなだけだと、分かっています。
趣味の話。
昨年ネット上を席巻した【まおゆう】の書籍版を入手して読んでみたら琴線が触れられすぎてぷっつんした(何)ので、慌ててネットにある〈原本〉を最後まで読み耽りました。…………順番逆じゃ、と思った人は漏れなく正解。しかしですね、書籍版は書籍版で細かい脚注や設定資料・イラストも載っているので買った意味はあるんですよ!(必死)
ドラクエ以降受け継がれてきた【お約束】を、【契約】として描き直したのがこの作品なのではないかと感じます。契約には細かい、しかし必須の注意事項や利用規約が並んでいる。それを契約の理念に忠実に、隠す事なく描き出したもの。世界を覆う闇の奥に隠れているのではなく、世界を照らす光源の眩しさの傍に隠れていたものを暴き出した作品。
最後まで読んでしまったので書籍版の続刊を買うかどうかは一旦保留するけれど、読めば新たな視点が加わると思います、よ。
震災その他の気分的な問題で放っておいたこの雑記も、そろそろ再起動させたいな。
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