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 【 死よりも悪い運命 】
 ( 文庫・エッセイ / カート・ヴォネガット / ハヤカワ文庫SF )


 小説自体がエッセイ的な要素を豊富に含んでいる、彼のエッセイ。
 それがある意味自らの作品以上に【作品的】になるのは、事前から予想できていた話。【デッドアイ・ディック】におけるルディ・ウォールツのように、【母なる夜】におけるハワード・W・キャンベル・ジュニアのように、この文章の中で語っているのは“K・V”と自称する一人の登場人物と言ってしまっていいと思います。誰もがエッセイの中では自身を神様とするのは当然ながら、K・Vの場合は神様と登場人物の二役を兼ねている。地平線の凹凸を観察しながら蟻の行列の行く先に邪魔な小石を置き続けるような……望遠鏡と顕微鏡をそれぞれ片方の目で同時に覗き続けるような思索。運命に関しての中間報告。
 心優しきニヒリスト、と呼ばれている事を本人がどう感じていたのかはさておき、そんな“見出し”を鼻歌メイン(皮肉交じり)で裏切るように、文中には【他人】の名前と観察が溢れています。意外と言えば大いに意外――読む前は、純粋に世界や歴史に対しての思索に沈んでいる文章だろうなと見当を付けていましたから。
 だからと言って、人の名前の多さが人間関係への渇望を表しているかと言えるかどうかは微妙。様々な距離から他人を観察しているように見えて、その実、本当に観察しているのはその人間から生えている尻尾のように思えます。よくよく見ればそれは尻尾じゃなくて、他の誰かに、他の何かに繋がっている【関係性】のようなものですけれど。
 人と人とを繋ぐ赤い糸には、大抵は【愛】って素材が使われています。しかし実際にはゴム製の紐。容易には切れません。お互い離れようとしたら反動で衝突します。
 K・Vは、それを【尊敬・親切】と言う素材に置き換えた。それは万が一首に絡まっても完全に絞まる前にぷっつりと切れてしまう、のびきったラーメン並みに人に優しい強度の糸です。
 切れたら切れたで、また一から結び直してみればいい。
 そんな軟弱な糸を切らさないようにお互い動ければ、むしろそれこそが、上々たる意思疎通なんでしょうから。 

 『キリスト教またもや失敗』との名言が、文中に出てきます。
 しかし、彼曰く「ショー・ビジネスとしての現代の宗教」にとってはそれは失敗の内には入らないのでしょうね。笑とも仕様とも言い換えられるそれは、失敗を糧とするのではなく失敗を金にするだけのシステムとしてご立派に成人してしまったのでしょうから。
 なんじ殺すなかれを、【なんじ“は”殺すなかれ】と、ふと言い換えてみたくなる。

 兎も角、
 彼は作品にしろエッセイにしろ、それだけで感想を語り終わらせてはくれないようです。苦笑。(脱線は常に自己責任)
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