【 円環少女 6 太陽がくだけるとき 】
( ライトノベル / 長谷敏司 / 角川スニーカー文庫 )
太陽の他にも色々なものを砕いて、砕いて、この作品は成立しています。
【因果応報】と言う四文字熟語がありますが、この物語ではそれが【因果】と【応報】に真っ二つに分断されているような感触を覚えました。この作品における”現代”の地獄、魔法世界の関係にしても、仁と舞花の関係にしても、国城田とガチケンと”月光仮面”のこの三十年間にしても――――まず始めに自分達ではどうにもならない因果を背負った状態からスタートせざるを得なかった現実。そこに必死に抗い、どうにか修正しようともがき、あがき、苦心し、奔走し、それでも最終的にはどうにもならず”落ち着く所に落ち着いた”結末が何とも心苦しく苦々しい限りです。国城田が最期に感じたであろう【――なのに、奇妙なほど日本に帰ってきたことに後悔はなかった】と言う一文を読むと、その苦々しさがより膨らんで、ね。何と言うか、心の中が強制的な”満腹感”で満たされてしまったような感じが。
よくよく考えてみると、この巻での主要な戦闘はその殆どが”同士討ち”だと言う事に気付きました。それが最早全然不思議な事に思えて来ないのがサークリットガール・クオリティと言えるのかも知れませんが、それはそれで全然周囲に喧伝出来ないアピール点。前巻までであれだけ無敵の強さを誇っていた八咬があのザマ(失礼)なのが戦闘関連での唯一の”なごみ”だと言うのは、あんまりと言えばあんまりな扱いだと思います――――――――長谷先生。横棒を長々と繋げるだけで円環少女の文体っぽくなるマジック(違)。
寺山修司【書を捨てよ、町へ出よう】とセットでこの作品を読むと、多分、脳内で新たな化学反応が起こる筈。
次巻での事態の進展を心待ちにしたいような、いっそのことここで打ち止めにして欲しいような複雑な心境ですが、個人的には番外編で東郷先生の若かりし頃を見てみたいものです。案外、同年代の時の仁と同じようなへたれ属性持ちだったりしたような気が(無い)。