>> 2008.6.11(水)/14:01
漸くゆったり、とか言った傍から週末は私用で実家に戻ってました。
風呂場の壁に蜘蛛さん(何故さん付け)が三匹ばかりぺたっと貼り付いていようとも特に追い払いもせず入浴するのが実家クオリティ。危害を加えない限りは同居人だと認識すると多少は愛着も沸いてくるってものです、笑。こちらに危害が及んだらアレでソレな処理ですが。(鬼!)
で、一緒に持って帰った【夢見る黄金地球儀】を読了。
海堂さん作品を未体験の方にはこれを入門編としてお薦めするのが良いかも。個人的には伊坂さんと似通ったベクトル持ちの方だと感じているので、伊坂作品にアンテナが立つ人なんかには三割増しでお薦め致しますよ。そして引き続き、浅井ラボフリークの人にもルート二割増しでお薦め。され竜ガガガ新装版が地元の書店で入手できる確率は多分ルート2%ですけれど。苦笑。
書きたい事が決まっている物事ほど、意外と書き出しが難しいもの。
終点が決まっているとそこに話を上手く持って行こう繋げて行こうと考えてしまって始点がなかなか決まらないのですよね。それは雑記でも創作文章でも同じ――ネタが思い付いた時から全てを書き終わるまでを”創作時間”とすれば、最初の一行を書き終わるまでに時間の半分以上を費やしている事なんてザラです。中には最初の一行までに一週間、二行目から最終行まで数時間、てな感じの代物が実在するから笑えないですよ。いや全く、本人だけが笑えない笑い話。
全体を迅速に書き終える才能よりも、
最初の一行をスムーズに書き終える才能が欲しいものです。割と切実。
で、
今回の場合の【書きたい(略)物事】は、当然(?)ながらあの事件の話題なのですが。
相変わらず――犯人を理解しようとしていつの間にか共感してしまう毎度毎度の不愉快なメカニズムが稼動しているなあ、と思ってしまうここ数日。過去の経歴や趣味全般を暴いて行く事で犯罪の全貌や理由を明らかにしよう、と言う手法はこれまでにもさんざん使われてきましたが、この一件を見ても、今後も存分に使い回され使い古され使い尽くされて行くのでしょうね。某番組で”エリートと呼ばれた男”ってテロップが画面に映し出された時には犯人に対しての不愉快や敵意とかが一瞬吹っ飛んで、この報道姿勢に対してのとてもことばではいいあらわせないかんじょう(棒読み)が湧き出てきましたが……まぁ、きっと今後も、こんな煽り方は続いて行くんでしょう。でしょうとも。
今の所、流石に警察の対応に関してマスメディアが公然と噛み付いている感じは見受けられませんね。まあ事件の内容が内容ですから当然、とまでは言い切れなくともある程度は自然な反応だとは思います。それでも発生当初は、一部のコメンテーターが【まず最初に拳銃を抜いていれば】的な話をしていましたが――状況的にそれが無理な話だと言うのは、無理のない理屈でしょう。見敵必殺(サーチアンドデストロイ)の精神は警察学校でも義務教育でも教わっていない筈ですから、この国では。
それにしても、
ここ最近の凶悪犯罪とその報道や一般の反応を見ていると――【憎むべきものを間違えずに”正確に”憎む】事がこんなにも難しい社会になっているんだなあと言う事を否応無く実感させられます。もっと精密に言うならば、【人を憎む事ができない】社会になっているんだなあ、と。そこに【罪を憎んで人を憎まず】の精神がくまなく漏れなく浸透(侵食)しているのは、まあ、言うまでもないお話。
被害者は勿論、加害者でさえも自分で責任を持って真正面から堂々と憎む事がはばかられてしまう世の中では、最終的な憎しみの切っ先がヒトならざるもの――つまり人間そのものが前面に出て来ない【組織】、【政府】、【国】、【社会】が憎悪対象になってしまうのはある意味で当たり前なのでしょう。以前の雑記にも似たような事を書いた覚えがありますが、【憎みやすいものから憎む】精神が現代社会の根っこの先っぽまで浸透してしまっているように思える訳です。……いや、むしろ土壌自体がその精神に浸されていて、根っこからそれを樹全体が吸収していると言うべきでしょうか。(どちらでもいい)
憎む事が正しい事だとは言いません。
が、”正確に憎む”事は――少なくとも間違った事ではないと思いますよ、個人的にはね。そして何を憎むにしても、その行為には常に自己責任がつきまといます。何の責任も負わずに何かを憎めると思っている限り、それは単なる自己満足の域を越えられないでしょうね。
さて、今回の事件を受けて(或いは既に検討されていたのかも知れませんが)銃刀法違反の基準を見直す動きが出ているみたいですが、まず間違いなくいたちごっこの一幕で終わってしまうでしょう。中身をどうにかしない限り、空気穴を塞げば別の場所に新しい空気穴が開きます。人間の思考の可能性が無限大だと言う事をこんな形で思い知りたくはなかった、と、新たな事件が起こる度に思い知らされるんでしょう……どこぞの予言者が発した未来像より、この確信の方が遥かに恐ろしいですよ。真面目な話。兎も角、規制強化を叫びながら人間の善性を訴える人達の矛盾は、流石に、そろそろ暴かれてもいいんじゃないかなと思います。
何を言っても悲劇は悲劇です。
合掌。