創作サイト【文燈】の雑記、一次、二次創作書き散らし用ブログ。
休止解除しました。創作関連はサイトでの更新に戻るので今後は雑記、返信等が中心となるでしょう。更新が鈍い場合はツイッター(http://twitter.jp/gohto_furi)に潜伏している可能性が、大。
この一週間ほど、ツイッターの試運転と自主練(何)を兼ねてそちらでぼっそぼそ呟きを鳩の餌並みの乱雑ランダムさでばら撒いていました。何と言うか……ミクシィからこちらへと勢力バランスが傾きつつある理由が分かり始めた気がする。140字の字数制限も確かに絶妙な一線。言葉の無酸素運動(呟き)と有酸素運動(語り)の境界線上に位置してます。ちょっと語りが入ったらあっと言う間に字数オーバーする。
思い付いた事、考え始めた事が仮に100個あるとすれば、ブログやミクシィ雑記で語られるのはその内精々10~20程度ですからねえ。ツイッターの場合はそれが40~50程度までは増加するような手応えを現時点では感じてます。目的意識をどのように設定するかによってかなり増減はするでしょうけど。
そこそこ慣れてきたので、一応、アドレス(?)を公開。
基本的に脈絡のない話題を脈拍の不安定なテンションで呟いてます。興味のある方はお気軽にどうぞ。
http://twitter.jp/gohto_furi
現状は書評的な呟きが大多数を占めてます。一番お手軽な利用目的なので今後も多数を占める筈。
で、そこで呟いている【テスタメントシュピーゲル1】を漸く読み終えた……うぶちん/うぶさんは筋金のみならず合金も入ってるエンターテイナーですね。小説家の肩書きはサイコロの一面すら占拠してない。文章や文体を自身の個性として堅持する作家諸氏と、物語に応じて文章・文体を“登場人物と同じ扱い=世界に見合ったフォルムに改変/改新/いずれも会心”させる事を全く躊躇しないこの人は、たまたま同じフィールドで空気を共有してるだけで種族的には完全に別物なんだろうと感じた。
オイレンとスプライトの既刊、全巻蒐集すべきか否か割と真剣に懊悩中。
オーフェン後日談での【プルートーが持ち帰った密約】は、見方を変えれば魔力を伴わない人造のキエサルヒマ結界“解除”のようなものと捉える事もできる。
“したいけど、できない”を“できるけど、しない(するかどうかは確率論)”に切り替える。はぐれ旅本編ではそれがキエサルヒマ結界の解除行為だったけれど、後日談ではその密約/計画こそが結界の解除行為に該当するんだろうな、と。仮にキエサルヒマ結界を憲法9条に置き換えてみると、あっと言う間に現代日本の国防論になる。色々な意味で重厚なテーマですよ……本当に。
校長先生に【友愛】の二文字は徹底的に似合わない所が、現代日本との決定的な違いです。
思い付いた事、考え始めた事が仮に100個あるとすれば、ブログやミクシィ雑記で語られるのはその内精々10~20程度ですからねえ。ツイッターの場合はそれが40~50程度までは増加するような手応えを現時点では感じてます。目的意識をどのように設定するかによってかなり増減はするでしょうけど。
そこそこ慣れてきたので、一応、アドレス(?)を公開。
基本的に脈絡のない話題を脈拍の不安定なテンションで呟いてます。興味のある方はお気軽にどうぞ。
http://twitter.jp/gohto_furi
現状は書評的な呟きが大多数を占めてます。一番お手軽な利用目的なので今後も多数を占める筈。
で、そこで呟いている【テスタメントシュピーゲル1】を漸く読み終えた……うぶちん/うぶさんは筋金のみならず合金も入ってるエンターテイナーですね。小説家の肩書きはサイコロの一面すら占拠してない。文章や文体を自身の個性として堅持する作家諸氏と、物語に応じて文章・文体を“登場人物と同じ扱い=世界に見合ったフォルムに改変/改新/いずれも会心”させる事を全く躊躇しないこの人は、たまたま同じフィールドで空気を共有してるだけで種族的には完全に別物なんだろうと感じた。
オイレンとスプライトの既刊、全巻蒐集すべきか否か割と真剣に懊悩中。
オーフェン後日談での【プルートーが持ち帰った密約】は、見方を変えれば魔力を伴わない人造のキエサルヒマ結界“解除”のようなものと捉える事もできる。
“したいけど、できない”を“できるけど、しない(するかどうかは確率論)”に切り替える。はぐれ旅本編ではそれがキエサルヒマ結界の解除行為だったけれど、後日談ではその密約/計画こそが結界の解除行為に該当するんだろうな、と。仮にキエサルヒマ結界を憲法9条に置き換えてみると、あっと言う間に現代日本の国防論になる。色々な意味で重厚なテーマですよ……本当に。
校長先生に【友愛】の二文字は徹底的に似合わない所が、現代日本との決定的な違いです。
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