創作サイト【文燈】の雑記、一次、二次創作書き散らし用ブログ。
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二次創作:【P3】
( 09.3.9 )
( 09.3.9 )
その比喩を聞いた時に彼女は思わず、【上手い】と思ってしまったのだ。
思ってしまったそれっきりで、それ以後、思う事はなかったのだけれど。
開口一番、
「……ま、進路に関してはこの前の面談で聞いたばっかりだし」
成績も問題ないから今日は特にその辺は話すこともないのよねー、と、途中から言葉のベクトルを下へ下へと押し下げて鳥海先生は呟く。応接机を挟んだ眼前の男子生徒に向けたものではない、糖分も塩分も脂肪分も控えめにした本音を、机上に転がした。視線はと言えば、手元にある当人の成績表に向けられている。
放課後の弛緩した空気がうっすらと降り積もる、職員室。
壁掛けカレンダーをちらりと眺めて、前回(と言っても一回目だが)の進路相談からまだ一ヶ月程度しか経っていないのを確認する。まだまだこの時期に進路志望が変動する確率は低いが、だからと言って予め組まれているスケジュールを素知らぬ顔で踏み倒す訳にも行かない。最初のうちは一応「進路志望に関して変更はある?」と聞いてはいたが、途中からはそれすらも面倒臭くなって割愛した。
そんな訳で――今日一日だけで全員分終わらせる事ができそうなペースなのだが、それをやってしまうと流石に手抜きを見咎められてしまう。今日は彼を最後にして残りの生徒は明日以降に回すのが上策、との結論が出た。
だから、と言う訳ではないが。
「進路志望に関して、変更はあるかしら?」
割愛しっ放しだった質問を、今頃になって彼へとぶつけてみる。義務感が再燃したという訳でもなく、ただ単に【時間が余ってるから回答用紙の裏側にアンコールワットを模写してみました】程度のもの。すぐに「いいえ」と彼特有の簡潔で明快な返事が口から投じられる、と鳥海は推測した――――が、その三文字がまるで税関で麻薬絡みの足止めでも食っているかのように、なかなか飛び出してこない。
瞬きを、五つ、六つと積み上げる。
更にもう一つ積み上げようとして、
「――――いいえ」
そこで漸く飛び出してくる。
と言うより、“すり抜けて”きたかのような返答が、彼の口から放たれた。
「変更は、ありません」
「……そう? なら、いいんだけど」
呆けていたとも間を空けたとも思えない沈黙は、まるで、熟慮に深慮を掛け合わせたような種類のそれに思えた。そう思えた、と言うだけで、そうかもしれないと本気で思索を始める程の違和感にはならなかったのだが。
違和感を振り払うついでに、もう一度壁のカレンダーに目を向けた。
2月ももうすぐ終わり、3月、4月と日付がドミノ倒しのように押し寄せる。本題を無視して雑談に終始するような真似――稚拙な手抜きではなく高度なリラックスの一種、だと自分では確信している――が出来るのも、流石に今の時期だけだろう。
(それにしても)
と、
開かれたままの成績表に視線を落として、鳥海は思う。
学期毎に自分の手で記している備考欄。本人の学習状況やら家族への提言やら素行への注意やらが生徒一人一人の特徴に忠実に従って書き込まれている筈のスペースには、書いた張本人である自分ですら【誰の事を書いているのか】疑わしいような当り触りのない言葉が書き連ねられている。
彼はそんなにも特徴に欠ける生徒だろうか?――いいや、そんな事はない。体育会系、文化系の部活の傍ら生徒会活動にも顔を出し、尚且つ成績も優秀。寮住まいでもあり放課後の生活が学校から断絶している訳でもない。自分が見知っている限りでも、交友関係が手狭そうでもない。自分がこれまで受け持った生徒の中で、彼ほどイヤフォンが両耳の純正な付属品に思える生徒はいなかった。こんな面談の時でさえも両手を制服のポケットに自然に差し込んだ体勢でいる生徒は、
「……まあ兎も角、手は出しときなさいね」
それは、【いた/いなかった】の問題ではない。
そう言われて初めて自分の態度の無礼さ加減に気付いたのだろうか、彼は頷くと両手を静かに机上へと持ち上げた。悪気があったと言うよりは、ただ単に両手の行き先を意識していなかっただけのようにも思える――ずっと前から繋いでいる外付け機器を「そう言えば繋いでたっけ」とふと思い出して初めて認識するような、そんな時間差感一杯の感覚。或いは、時間の感覚それ自体が違っているのかも知れないけれど。
そのようにして、彼に関する箇条書きは瞬く間に画面をはみ出して下へとスクロールした。そう、語るべき事、開けられる引き出しは幾らでもあるのだ。
ある筈、
――なのだ、が。
『何ていうか――――』
ほぼこちらからの一方通行な世間話を二言三言交わした後、面談は終わる。
軽く目礼して席を立ち、職員室を出て行く彼の後姿を目で追い掛けながら、
『そう、刺繍みたいな感じ?』
鳥海は彼を評したあの的確な比喩――忘年会の席で、教師連中の中の誰かが零した何気ない一言――を記憶の屋根裏から持ち出した。それを聞いた時に思わず【上手い】と思ってしまったその理由は、今更丹念に理屈付けるまでもなく凡そを理解出来ている、気がする。
「……あぁ、そっか」
理解は言語に変換され、口を抉じ開けて飛び出す。
彼は、
背景よりもほんの少しだけ“こちら側”に近い場所に立っているように自分の眼には見えているからだ。差し詰め、生地に縫い付けられながらもほんの少しだけ浮き上がった、鮮やかな刺繍のような存在。配置。
そして、今月に入ってからその印象はより強まったように思えた。
立ち位置が更に背景へと近付いた、とでも言えば良いのだろうか。このまま行くと来年の今頃には背景さえも突き抜けてその“向こう側”まで遠ざかってしまうんじゃないかしら、とふと感じたが――「そんな訳ないっての」と、すぐに苦笑を絡めて否定する。そんな訳はないし、そんな風になられたらこちらが困る。それは教師の立場のみならず、ほんの少しだけ私情も混ぜ込んだ個人的な希望ではあるのだが。
蛍光灯の周りで泳がせていた視線を、元に戻す。
職員室を出て行こうとしていた彼は、生徒会の副会長にばったり遭遇して校内の巡回に連れて行かれようとしていた。「……眠いから」と何かを弁明する声が泡立って、普段から厳しい副会長の表情が常温のまま沸騰する様子を眺める。二人の傍らでは眼鏡の女子生徒(あれは確か会計の子だ)がおろおろと取り乱している。
恐らくは今日の巡回に参加しない理由を尋ねられて思わず本音を返してしまったのだろう、と推測しつつ、鳥海は閉じていた成績表を開いた。
刺繍。
それは的を射た比喩だとは思う。
しかし現に、ああして目に見えて“くっきり”と際立った日常を生きているのだから、やはりそれは適切ではないのだ。
空白だけが場を占拠している備考欄の一番下に、【充実した日々を過ごす為にも睡眠時間は充分に確保しましょう】と記す。別に今すぐ書く必要はない事柄ではあるが、今書かなくても最終的には同じ文章を書くのだろうから、問題はない。
「別に、生き急いでる訳でもないんでしょうにねえ」
達観を装った物言いを独り言のように呟き、彼女は欠伸をそこに絡ませた。生き急いでいようがいまいが、眠いものは眠い。不人気で閑散から抜け出せないネットゲームからも、そろそろ足を洗った方がいいのかも知れない。そんな閑古鳥の巣の中で一人だけ懇意にして貰っているプレイヤーも、今月になってからは全くログインしていない事だし。
自分の机まで戻って、もう一度入口へと視線を向けた。
つい先程まで誰かがそこに立っていた輪郭も痕跡も余韻もそこにはもう見受けられず、
今はただ、壁紙のように身じろぎ一つせず整然とした廊下の光景が、遠ざかる足音だけを響かせながらごくごく当たり前のように、至極自然な感じに――まるで同じ次元の同じ世界の光景のように、広がっている。
その比喩を聞いた時に彼女はすぐ、【ヘタクソ】と思うべきだったのだ。
勿論、その言葉を否定したからと言って、その後の現実が劇的に変わる筈はなかったのだろう、けれど。
“ more than stitch ”
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