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創作サイト【文燈】の雑記、一次、二次創作書き散らし用ブログ。 休止解除しました。創作関連はサイトでの更新に戻るので今後は雑記、返信等が中心となるでしょう。更新が鈍い場合はツイッター(http://twitter.jp/gohto_furi)に潜伏している可能性が、大。
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 【~8/17】
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 主に肘から下。(と書いて何故かロッチのネタを連想した)
 同じ時間外出していても、年々日焼けの度合いが酷くなっているような気がする。半袖でさえこれだけ暑いのなら、開き直って長袖で出歩いても気分的に何とか乗り切れるんじゃないかーィとぽっと出の小悪魔が耳元でメガホン片手に囁いてます。元々肌が弱い体質だしね……どうするべきか。

 【P3】のPSP版に関するあれこれが事前の予想(願望)を違った意味で飛び越えてて、閉じたお口を開ける気にもならない。主人公のみならず主要キャラ全部の性別が引っ繰り返ってたら面白いですけどね――や、面白いだけなのですが。
 三年前の作品を移植できるレベルまでPSPの性能や開発技術が達しているのなら、【真・女神転生Ⅲ】辺りも移植して貰いたいな。上記P3だけではまだ、ハード自体の購入即決にぎりぎり至らない。全ては続報次第。

 <国旗切り貼り騒動>を【たかじんのそこまで言って委員会】で取り上げて欲しいな、と思った。
 個々の出演者レベルでなら幾らでも論議が深まりそうだけど編集時点でざっくりハサミが入りそう(洒落じゃなく)なので、格段に大きな期待はできませんけど。
 特に話題はないけれど新規の記事も立てておく。今夜は中華丼を食べました。(聞いてない)

 勢いに乗ってすごーくどうでもいいー話題。
 夜半になってさあ寝よう、って時に携帯のバッテリー残量を見たら【2本(真ん中)】だった時、そのまま放っておいて次の日以降【1本】になったら充電するか、まだ2本立ってるけど明日以降の事を考えて今すぐ充電しようとするか、2本じゃまだ充電する気にならないけど明日以降の事も考えて悩んだ挙句特に見るつもりもなかったサイトや動画を適当に見て1本になったら即充電するか――の三択が脳裏で繰り広げられるのは自分だけなのか万国共通なのか、凄く悩む。
 ご覧になっている皆様もそんな経験、ありま(せん。)
 せいぜいキャッチセールス程度か。(それもどうか)

 無宗教の新たな追悼施設の話、まだ立ち消えた訳ではなかったんですね。最近めっきりその論議に関しての話題が聞こえて来ていなかったので不思議だったのですが――追悼の作法の問題が存在する限り、やっぱり消えはしないか。
 【悼む心】はそれ自体が強力な宗教性を持っていると信じている側の人間なので、“無宗教”と“追悼施設”の連結に矛盾を感じずにはいられない。どんなに無宗教を標榜していたとしても、その象徴となる【箱】を造って特定の日に人を集めれば、どうやったって宗教性は発生してしまうでしょうし。そもそも無宗教を謳うのなら、箱を造る事自体が不必要な行為だと“本物の無宗教者”は思いそうなものです。あらゆる宗教は、「死を想う」事から最初の一歩を踏み出したのではないでしょうかね。死を想い考える事が無宗教ならば、宗教なんてものは元から発生・浸透しようがない。ありとあらゆる布教活動中の神様が「うちはそーゆーの、もう間に合ってます」と下界の行く先々で門前払いを食らっちゃう事間違いなし。
 普段から「俺は無宗教だ」と公言している人が、特定の日(親の命日とか)にその対象に対して哀悼の意を何らかの形で見せていたとして、その人の事を「あの人って無宗教者だよね」と言える人は一体どれだけ存在するかは、人によってその結論はそんなには変わらないと思います。
 政教分離の原則があるから【無宗教】を強調せざるを得ない立場は、分かりますけどね。
 政教分離を徹底し過ぎた国がむしろ国家宗教的国家になってしまう現実も鑑みると、“最初の一歩”に神経過敏になるんじゃなく、“最後の一線”を越えない為にどうするかを真剣に考えるべきだろう、と。御霊を、英霊を祀ってはいても、主役はあくまでも先祖を想い今後の平和を願う【悼む人】なのでしょうから。そうでなきゃいけない。
 聖地が増えれば火種も増える。
 歴史認識だけじゃなく、悼む心に関してまで「で、貴方は(ヤスクニと無宗教追悼施設の)どちら派?」と所属を強制させられるような未来は望みたくないですよ――全く。
 鳩さんの言い分だと、まるで【主に陛下のために新施設を造ります】と言っているようにも聞こえた。それはそれで、また別個の問題が出てきそうにも思える。

 【はだしのゲン】全巻を英訳した、と言うお婆さんの話題がニュースで流れていた。
 図書室で全巻読んだ記憶がぼんやりと甦る……そして思い出した今、強く印象に残っているのは、原爆後のヒロシマの被害の凄惨凄絶な描写よりも、むしろ“それから”の、生きて行く為に必死で過ごした成長の日々です。あの漫画が原爆の悲劇だけをクローズアップして描かれていたなら、ここまで印象的な作品には仕上がらなかったと思う。それでも生きて行かなきゃならない、と言う現実を露骨なまでに提示したからこそ原爆の理不尽さもより際立ったのではないかなー、と。
 泥と反吐の臭いが感じられない体験談は、例え本当の事を話していたとしても聞いた人にとっての真実にはそう易々とはなり得ない。良かれと思って削ぎ落とし洗い流した汚れが真実の真実味を低下させファンタジー化させているのは、憤りのやり場に困る分厚い皮肉ですね。
 英訳だけじゃなく左右反転(読む方向も逆)に伴う画像の修正もこなしていたあのお婆さんは、凄い。
 デビサバ、二周目の最終日でほぼルーティンワーク的にフリーバトルを繰り返してます。ゲームとは全く別の事をもわもわ考えながら機械的に反復実行するレベル上げはいつになっても楽しい(いいのか)。一応、例の“閣下”に一度だけ匹夫の勇の蛇口全開で挑んでみたらピコとテラ並みの力量差に縮こまったのでレベル上げレベル上げ――しつつも、これは三周目以降に先送りしようかとも考え中。
 ラスボスを遥かに上回るような隠れボス、裏番ボスの存在に関しては大いに肯定するのですけどねー。その手の最強を倒す場合、ゲームの種類に関わらず倒し方がほぼ固定されてしまうのが攻略意欲を削がれる一因になる気がする。自分の中の裏ボス戦記は【FF5】のオメガと神竜で早くもEDを迎えていたり……戦っている最中に欠片も考慮していなかった蛇口(攻略法)が勝手に全開になった快感は、最近はとんと味わえていない。
 ゲームの製作側の精神年齢が、実年齢以上に高まっているようにも思えます。上記の愚痴は、その中での数少ない弊害なんでしょうけどね。

 野球もソフトも枕を並べて討ち死に(?)か――予想できた結果ではあったけれど。
 どちらも世界全体で見てみればまだまだ“ローカル言語”の域を出ない代物ですし。
 日本製のレベル&ターン制RPGが海外で版図を拡大できない理由と、根っこの部分では繋がっているように思えてならない。ある意味相撲以上に儀式的・儀礼的なスポーツですからねえ。そして農耕民族特有の精神構造が生み出したもの、と言いたいけれど発祥の地が米だと言うのがその主張を根っこから引き抜いてる。何故あの国でこんな競技が流行りだしたんだろう……相手がボール投げる前に先制攻撃でバット投げ付けるお国柄(やや偏見)は、つい最近流行り始めた一過性のファッションだとでも言うのだろうか。
 当面は、今現在根付いていない地域に地道に【やきゅう】を広めて行く事を優先させるべきでしょうね。その際に故・寺山修司に布教拡大のアイデアを求めたなら、「タマをサッカーボールより大きくしなきゃあだめだよ」と男性論も一緒に紐で括って語られそうですが。笑。
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